全国大会ではあらかじめ各校に108の座席が割り振られていて、
関係観劇希望者はそこに座ることになっていたのだが、
26年間も(だったかな?)演劇部顧問をやっていたせいで、西条、川之江、松山東の演劇部OGOBたちが次々と名乗りを挙げてくれ、
総勢88名がその座席を埋めたのであった。
(出場校中最多だったらしい。四国やのに。どうかしているレベル。)
さて「きょうは塾に行くふりをして」の上演を終えて立ち上がると、
中央通路前に座っていた私と越智くんに、
26年分の演劇部員たちが次々と朗らかに声をかけてくれて、これは顧問冥利に尽きた。
「〇〇先生(←私のこと)!」
「わあ、▢▢! 久しぶり!」
「〇〇先生!」
「わあ、△△! 元気だった!?」
「〇〇先生!」
「わあ、✕✕! きれいになっちゃって!」
みたいな感じで上演終わって精も根も尽き果ててはいたのだが嬉しい嬉しい、こんな遠い所(東京)まで来てくれるなんて、と思っていたところわんさかいるそのOGOBの中に混じって私と同年配であろうかと思われる大変見たことのあるような一人の男性がこちらに向かって立っていたので一瞬記憶を辿ってはっと衝撃が走り、
「鴻上さん!? 鴻上さんじゃありませんか!!」
上演校関係者席に来ているのは全員私が呼んだ人たちであるが私はこの人を呼んだのであったろうか!(いや呼んでいるはずがありませんそんな親しいわけない)と回らない頭で考えながら、
「なんでこんな所にいらっしゃるんですかーー!?」
と叫んだところでまたはっと思いつき、ああ、東京だから、と納得しかけたところで、
「審査員だよ!!」
ええええええーーー!?
「全然知りませんでしたーーー!!」
「知っとけよ!」
おっしゃる通りです。
(開会式中練習を入れてしまっていたのです。すみません。)
笑って去って行かれました。
その後、
審査員の川田正明先生(四国ブロック)からの紹介で審査員の上田美和先生(九州ブロック)にも声をかけていただき、
なんだか審査員の人が多いなあなどと思ってあとから考えると、
「現場」は審査員席のド真ん前の通路だったのでした。ちゃんちゃん。
本当に大変失礼いたしました。
(人の山で通路を塞いでいたわけですね。)
「鴻上尚史」氏と最初にお会いしたのは実は平成6年の松山での全国大会の時でした。
そう、なんと彼は「俺たちの甲子園」の年の審査員長だったのです。
私と越智くんが演劇を始めることになってしまったその大会のその時の全国大会審査員長が彼。
そして今また私が定年退職の年「きょうは塾に行くふりをして」の時の全国大会審査員長が彼だなんて、
ちょっと私の人生における配置というかそんなのがうまいことキレイに並びすぎなんじゃないですかね。線対称っていうか。いったい誰がデザインするんでしょうかねこれは。
まとめ。
最初と最後の四国大会審査員長が「安田雅弘」氏。
(1996.12「それぞれに如月」→2021.12「きょうは塾に行くふりをして」)
それを挟む最初と最後の全国大会審査員長が「鴻上尚史」氏。
(1996.8「俺たちの甲子園」(観劇)→2022.8「きょうは塾に行くふりをして」)
というわけで、
これもまた浅からぬ因縁と勝手に思ってるんですよね。