曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

ワシ今まで、一生懸命やったことなかったんですよね ー四国大会に参加してー (H9.1.31.PTA新聞掲載)

 審査発表。全国優勝するつもりでいたのに、四国なんかで敗退してしまった。私たちは入賞さえしなかったのだ。女子部員が泣き崩れた。無理もない。二年生には最後の大会だ。夏休みもなかった。さまざまな軋轢を乗り越え、本当に多くのものを犠牲にしてここまで来たのだ。

 演劇は、県で優勝しても全国大会へは出られない。四国で一校だけが全国への切符を手にできる。愛媛県勢で四国を勝ち抜いたのは過去一度、一昨年の西条高校だけだ。私はその時西条の顧問だったが、今回の芝居はそれに勝るとも劣らない。県でも断トツの一位、勝算あっての四国だった。

 県大会を観た先生からFAXをいただいていた。「全国の最優秀の舞台をみているときのような感動に包まれて涙がとまりませんでした。がんばってください。」上演前日はこの脚本を上演したいとの申し出まであった。「県大会を見たうちの生徒がやりたいと言ってきかないので。全国の後でいいですから。」もちろん川之江が全国に行くと踏んでの言葉だったろう。上演後の伝言ボードにも褒め言葉が並んだ。「これなら絶対全国だ!」審査会場へお茶を運んだ先生も声をかけてくれた。「審査員にも大受けでしたよ。」

 しかし、結果は選外である。講評で審査員長は川之江の芝居をこきおろし、他の審査員たちは口をとざした。声もなく涙を流す生徒たちを前に、私自身も途方に暮れた。正しいもの、美しいもの、哀しいものを求めて、私は彼らを指導してきた。私の考える正しいものが正しくないとすると、これからどうやって進めばよいのだろう?

 川之江駅で解散した時は、とっぷりと日も暮れていた。20キロはある音響器材を背負った男子部員と、学校までの道を歩いた。
「残念だったね丹羽君。」
「ハイ、みんなが泣き出した時はもうどうしょうかと思いました。」
「がっくりだね。」
「ハイ、でもワシ、後悔はしてないんです。一生懸命やったから。」
「ホントやったよねー、一生懸命。」
「ワシ、一生懸命やったこと、なかったんですよね、今まで。演劇でも勉強でも何やっても。でも、今回だけは、ホント一生懸命 やりましたから。」
「・・・。」
「一年生には全国行ってほしいし、これからも手伝えるだけ手伝いますよ。」
「・・・。」
「先生、妥協したらだめっスよ。」
簡単に言ってくれるよ、と思いながら、少し鼻の奥がツーンとしていた。自分も泣きたかったんだなと思った。

 生徒は成長する。一生懸命やったという事実は消えない。私の考える正しいものが正しくないのなら、より正しいもの、より美しいものを目指して努力するしかないのだろう。これから一生懸命やれば、ひょっとしたらまたいい作品ができるかもしれない。そしてその過程が、「幸せ」と呼ばれるものかもしれない。そう言えばこの九か月間、幸せだった。私にそれを許してくれた、すべての人に感謝したい。