曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

四国高等学校演劇祭20周年に寄せて(令和元年第20回四国高等学校演劇祭パンフレット寄稿)

知っている人はわかると思うが、私は持ちかけられた話は断る方だ。体力がないのに教員などという大変な職業に就いてしまい、「これ以上仕事が増えたらどうしよう」と日々半泣きで走り続けているからである。だからその時もお断りしたのを覚えている。
 20年前の「その時」、電話の向こうで徳島の古田彰信先生は、「四国で、ハイレベルな演劇発表の場を創りたいのです。」というようなことを穏やかに説明してくださった。そうして、そのためにはその年の全国出場作品を舞台に載せたい、『ホット・チョコレート』を上演してくれないだろうか、とおっしゃったのだった。もちろん徳島県での開催である。私は当時川之江高校演劇部顧問で、その年の全国出場を決めていた。『ホット・チョコレート』というのは当時の上演作品名だ。確かに、全国大会直前に観客の反応を見ることのできる、そんな機会はこちらにとっても魅力的だった。しかし前述の通りである。私には、断るほかに方法がなかった。
川之江で上演するならなんとかなりますが、全国大会直前に徳島まで行って上演するということは、それは、私には不可能なのです。本当に申し訳ありません。」
「そうですか。」
 古田先生はやはり穏やかに電話を切られ、そうして、その次に電話がかかってきた時には、なんと、「それ」は、「川之江」で行われることになっていた。そう、「第一回四国高等学校演劇祭」の誕生だった。
それにしてもなんてすごい人だろう。古田先生は多分その前年に、ご自身の学校を全国に出場させていた。それがどんなに大変なことか。学校の仕事をこなし、その演劇部を手塩にかけ、そうしてその大変なさ中にこんな一大プロジェクトを立ち上げようと考えつく、そんな人が存在するということからして私には理解できないスケールの話だった。
 ご存知の通り、川之江は四国四県の県庁所在地からほぼ同距離という地の利を持っている。また、ちょうど7月のこの時期に、ここ川之江会館にはすでに「ドリーム・シアター」という演劇発表の文化が根付いていた。その「ドリーム・シアター」を献身的に支えて来られたのは地域の宇高斉氏である。古田先生は氏と打ち合わせを重ねられ、またさまざまな方面との折衝を進められ、そしてとうとう、20年前、こうして「四国高等学校演劇祭」はその幕を開けたのだった。
私は『ホット・チョコレート』を上演させてもらい、そのまま静岡の全国大会で最優秀をもらった。その翌年には『七人の部長』を上演し、そのまま福岡の全国大会で最優秀をもらった。それから川之江高校演劇部は、全国に出る年も出ない年も、「地元枠」として現在に至るまでこの演劇祭に出場し続けているのである。現在は現顧問藤田陽子先生が出場記録を更新し続けてくださっている。
私は、2011年の演劇祭までここにいた。楽しくも苦しい、あまりに大変な日々だったと記憶している。途中から、脚本は座付きとして主に(教え子の)越智優氏に書き下ろしてもらうようになっていた。ここでしか発表しなかった作品もいくつもある。懐かしい。今日はロビーで、現存している舞台写真を展示していただけるのだそうだ。写真は多くの教え子たちがこのために提供してくれた。2000年の『ホット・チョコレート』から、01年『七人の部長』、02年『夏芙蓉』、03年『パヴァーヌ』、04年『見送る夏』(大会作品は『眠る葉子』だった)、05年『五番目のテーブル』(同『商品出納室の人々』)、06年『ソウル・キッチン』(同『サチとヒカリ』)、07年『いるか旅館の夏』(同『花柄マリー』)、08年『全校ワックス』(同『犬山さんと猫田さん』)、09年『ふ号作戦』、10年『さよなら小宮くん』、そうして11年の『くじらホテルはほぼ満室』(同『ナオキ』)まで。私は2012年に松山東に転勤し、13年に『夕暮れに仔犬を拾う』、15年に『俺たちの甲子園』(同『青空をスプーンですくいとる方法』)を上演した。もちろん演劇祭は当初の通り、その年の全国出場校の舞台を全国に先駆けて観る機会となっている。今日もたくさんの若者がここ川之江会館を目指して集まって来るだろう。この古い、いくつもの物語を飲み込んだ建物は、もうじき私たちの思い出の中にしかなくなる。
 今年の四国高等学校演劇祭の事務局担当は、香川の新谷政徳先生である。先日その新谷先生から電話があって、「20周年記念として当時を知る人に寄稿してほしくて。」と話を持ちかけられた。「みんな、始まった当初のことを知りません。僕が教員になった頃にはすでにこの演劇祭はありました。」そう言えば新谷先生も、この夏これからまさに全国に出場されるという忙しさの中で、こんな企画を進められているのである。そのような人たちが幾人も存在して四国高等学校演劇祭は始まり、受け継がれて20年の歳月は流れ、現在に至るまで続いている。では私はせめて「持ちかけられた話を断らずに」書いてみよう。そう思った。相も変わらず半泣きで走り続けているけれど。書いてみよう。四国高等学校演劇祭、その始まりと、20年の物語に寄せて。