曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

運動会バナシ。

運動が嫌いなことはさんざん書いたが、
もちろん得意でないから嫌いなのである。
小学校6年間、運動会の「かけっこ」は多分全部ビリだった。
いや、6回中5回ビリだった。
いや、7回中5回ビリだった。
いや、5回中5回ビリだった、のかな?

小学校4年生のとき、
初めて4位を取ったのである。
もちろん走るのが急に速くなったとか努力したとかではなくて、
偶然にも私の班に、走るのが遅い子がごっちゃり集まっていたのである。
その時は本当に本当に嬉しかった。
当時私は運動会のかけっこが苦痛で苦痛で、
運動会が終わったら、翌年のかけっこを思って憂鬱になる、くらい苦痛だったのだが、
それが、笑われたり呆れられたり同情されたりすることなく、
4位などという普通の成績でゴールして終われたのであるから、
もう天にも昇る嬉しさだったことを覚えている。

さてしかし、かけっこが終わると、雨がザーッと降り始めた。
ものすごい大降りである。
なんと運動会は途中で中止になった。
そしてひ弱な私は大雨に打たれて大熱を出した。
3日ほど休んで登校すると、
「明日、運動会をやり直すんだよ。」と友だちに教えられた。
翌日そのメンバーでもう一度走った。
病み上がりの私はまたまたビリになってしまったのだった。ちゃんちゃん。
ゴールに着いたとき、
担任の女の先生が待っていて、
「Sちゃん(私のこと)、風邪が治ってなかったんやね。」と、つらそうに声をかけてくれた。
泣きはしなかったと思うが私は大変悲しかったし、
多分周囲もかなり憐れと感じていたのであろう。

小学校5年生のときである。
またまた運動会がやってきた。
当時私はFちゃんという女の子とビリ争いのデッドヒートを繰り返していたと思う。
昼一番だかそのくらいが私たちのかけっこで、
私はトイレに行ってから走ろうと思った。
ところがトイレで、
短パンのボタンが取れてしまったのである。
さあどうしよう。
「5年生は入場門に集合してください。」とか放送の声が聞こえる。
私は規則を破ったりするような子どもではなかったから、トイレの中でパニックになった。
多分係りのリボンのついた安全ピンか何かで短パンを留めようとして四苦八苦した。
そしていよいよこれは間に合わないと決心して、
安全ピンがどうなったのかは覚えていないが、私は校庭に飛び出した。
今まさに5年生のかけっこは始まっていて、
ただ私が覚えているのは、その時悲しそうに私を振り返ったFちゃんの顔だけである。
そう、
私は5年生の運動会のかけっこに、出場しなかったのである。
なんということ!
出場しない!
こんな手段があっただなんて!
走らなくていい笑われなくていい軽蔑されなくていいこんな方法がこの世に存在していたなんて!!

時々思うのであるが、
もし当時「不登校」という言葉が存在していたとしたら、
私は「不登校」になっていたのでは。
拒否権があるとは露も思わず嫌でたまらないことをただひたすら我慢して過ごしていた小学時代の運動会。
ここまで嫌なら逃げてもよかったぞと言ってやりたいくらい情けない思い出ばっかりだ。

ちなみに6年生のときはきちんと出場してきちんとビリでした。
だから小学校6年間は、
まあ正式記録は5回中5回ビリってことなんだろうなー。