夏目漱石『こころ』は高校2年生の定番教材である。
教科書に採録されるのは一般的に下巻「先生と遺書」の第36話から第48話まで。
私は本格的に授業に入る前に、
この部分すべてを生徒に音読させることにしています。
一人ずつ指名するのでなく、
3人組を組ませて各グループごとに、
形式段落で輪番に音読させる。
そうすると分量的にほぼ2時間弱で全グループ読み終えます。
昨日はその、読み終える日でした。
第48話、
「私が進もうかよそうかと考えて、ともかくも明くる日まで待とうと決心したのは土曜の晩でした。ところがその晩に、Kは自殺して死んでしまったのです。」
各グループが時間差でこの部分に到達します。
教室の中で、
ほぼすべての生徒たちがそれぞれその人生の中で初めて「Kの死」に出会うのです。
たくさんの若者たちが「こころ」の一節を懸命に読み続けるその教室で、
「え?」
「あ。」
「おーっと?」
などと小さな声を上げまた声を上げず、
それぞれの胸の中に彼の死が刻まれていく。
私は教員として何度も何度もその場に行き合わせているのです。
またここは松山東高校文系というほぼすべてが文学に興味を持っているであろうクラス。
漱石の文章は派手でないのに正確に読む者の心に入り込んでくる。
読み終えたグループから、
配布してあるプリントに簡単にメモを取り、
また下巻続きのあらすじプリントを黙読する。
音読以外の声は授業中ほぼ聞こえてこないのです。
それぞれの感慨を持つ静寂があります。
しかしチャイムが鳴って授業が終わると、
「K、死んだなあ。」
「私『K推し』やったのに。」
「『推し』死んだ。」
とかざわざわしているのも面白い。
道具をまとめて教室を出ると、
宿題を出そうとした男子生徒が廊下まで追いかけて来て、
「先生、この話面白いですね!Kが死んだあたりから断然面白くなりました!」
「いやK死んだの終盤でしょう。」
「僕、全部読みたいです!本買って読みます!」
と言って元気よく去って行った。
教員生活も終盤(というかおまけ期間)、
こういう経験ができるのは、
今まで一生懸命やってきたご褒美みたいなものだと思うんですよね。