曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

最近のこと。

私はS先生の授業が好きで(穏やかで確かなのです)、
相互授業参観週間には必ず見学に行くことにしているのだが、
ちょうど都合の合う時間帯というのがいつもTマのいるクラスである。
というわけで先日もTマのクラスの国語を観に行ったのだが、
教室に入ると誰かが「おい来とるぞ」というようなことを知らせるらしく、
Tマも振り返って「こりゃどうも」的なお辞儀をする。
授業で得るところはたくさんあったし、
帰りは持参していた折り畳み椅子をTマが「持って行きましょうか」と職員室まで運んでくれた。
今となっては何の役にも立てないような体で好きな国語なんかを勉強して仕事にさせてもらって、
産んでもないのに時々息子や娘がいる気持ちにさせてくれるんだから誠にありがたい職業に就いていると思う。
まあほとんどは悩むことばっかりなのですが。

急に寒くなったせいか先週は特に体調がすぐれず、
何度か保健室で休ませてもらったが、
頭を布団に沈み込ませてもどうにも楽にならず、
それは痛いとか苦しいとかではないのだけど幾度かこのまま死んでしまうのではないかと思うほどにだるかった。
歯も治療中だし日光にも弱いし体重も37キロ台を抜けられないし、
でもまあハラの痛む回数は減ってきたのだから上向いているんだろう。
今回の手術はこれまでの生活習慣を変えるきっかけを神様が与えてくださったんだと思えるような毎日にしたいなあ。

今、昔書いた人権劇をクラスでやろうとしていて(副担任のクラス)、
毎朝1時間早く出勤して一場ずつ教えている。
体にはこたえるけれど、
命がけでクラスを作りながら台本を書いて劇にしていったあの頃の恐ろしいほどの負担にはとても比べられない。
それぞれの年齢でできることを一生懸命やっていくしかないんだろうと思う。
担任は若い数学の先生で、
もちろん劇をやるようなタイプではないのだけど毎朝私の指導につき合っている。
この先生もまたいつか3年に一度(2年生を持ったとき)この人権劇をクラスで上演してくれる先生になってくれると嬉しい。
その手伝いもしているんだと思う。

国語は漱石の「こころ」を生徒に班別で授業させている。
この学校で2年生を持つのは2度目だが、
やはり2度目だからわかるということがたくさんある。
それにしてもいつになったら納得の行く授業ができるようになるんだろうか。
自分はちっぽけだちっぽけだと思うことばかりだけど、
すべてはそれを受け入れることから始まるので、
ちっぽけだけど私にやれることはあると今さらながら信じようとしている。
それが大切なんだと今にして本当に思う。