曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

主語について。

「声に出して読みたい日本語」という本をお好きでしょうか。
私はつい買ってしまったし、
内容にも共感しました。
音読ってことはとっても大切。
それに選んである文章がすべて魅力的。
そして何より、
この本のタイトルは大変印象的です。
類似タイトル本もたくさん出版されているし、
私も自分の国語のプリントとして、
「声に出して覚えたい教科書」シリーズを作成したりもしました。
使えるよ、このタイトル。

しかし実は、このタイトルには何かがひっかかる。
何か、乗せられているな、という心のひっかかり。
これは何だと思っていると、
越智優がいみじくもこう言った。

「主語が誰か、わからないんですよ。『読みたい』のがいったい誰なのか。誰かが読みたいだけのはずなのに、みんなが読みたいと言っているような雰囲気を醸し出しているのが気にいらない。」

本当にその通りだ。
日本語は主語を曖昧にできる言語である。
婉曲な表現は時に美しいが、
それを逃げに用いることもできる。
「みんながこのように思っている」ということを、
曖昧なままみんなに納得させることのできる、
危険を孕んだ言語なのだ。
乗せられている感、だまされている感は、決してただの思い過ごしではないだろう。

「言わせていただきます」にしろ、
主語を曖昧にする効果がある。
誰かの許可を得てする行動は、
言い換えれば自分には責任がないということだ。
そんなメッセージを持った言い回しであるがゆえに、私はこの表現が嫌いなのだろう。
たとえ心が伴ったとしても、言語感覚として気に入らない。