曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

嘘で嘘で本当。

「生徒の無限の可能性を信じればよい」と世間の人は言うけれど、
現場に居れば「それが嘘である場面」の方に、圧倒的に多く立ち会う。

坂口安吾は自著「文学のふるさと」の中で、
文学のふるさと」とは凄惨なものであり、
そこを無視して描かれた物語は人の心を打たない、というようなことを書いていた。
つまりこういうことだ。
卑近な例で恐縮ですが、たとえば少女マンガで、
登場してくる男の子男の子がみんな自分のことを好きになるという設定があったとしたら、
それを読んでていい気分になるかというと、
よほどおめでたい人でない限り決してなりませんよ、
ということだ。
嘘っぽいから入り込めないもんね。
実際は、好きになる男の子男の子がみんな自分以外の女の子を好きになる、
の方がかなり入り込める。
でもそんな(凄惨な)ものを誰が読みたいか?

だから坂口安吾はこうも言った。
大人の仕事はふるさとに帰ることではない、と。
凄惨な事実を知った上で希望を描くこと、
それが文学のあり方だと彼は言っているのだ。
私は物語を紡ぐとき、いつもそれを考える。

だからきれいごとばかり言う人は、
それが嘘であることをまず知らなければならない。
きれいごとが嘘である世界、その凄惨な世界を知っているから、
その中にかすかに輝く美しいものに、
私たちは心を打たれる。
そんな生徒の姿に出会えることを、
私たち教員がどれほど幸せと思っているか。

私は今、とても幸せな教員だ。
私が信じて関わることで、
生徒の可能性は私の目の前でまさに無限に花開いていく。