レッスン1 「他人の悲しさを泣けますか」
お茶の水女子大学の藤原正彦教授によると、小学一年生は仲のよいお友だちのお母さんが亡くなっても泣きませんが、小学六年生は泣くことができるそうです。
その子は、自分が悲しいのではなく、友だちの悲しさを想像して泣くのです。
他人の悲しさを泣くことができる、他人のふるさとを懐かしむことができる、この想像力が人々を戦争から救うのだと、教授はおっしゃっていました。
「戦争」を「差別」に換えても、そのまま当てはまると思います。他人の悲しさを泣き、他人のふるさとを懐かしむ人に、差別することはできないからです。
この大切な感受性が、幼いころに培われるわけです。私たちには子どもたちをそんな人間に育てる義務がありますよね。
レッスン2 「世間というのは君じゃないのか」
これは太宰治の「人間失格」の1フレーズです。「僕が許しても世間が許さないよ。」と忠告する友人に、主人公は心の中で叫びます。「世間というのは、君じゃないのか。許さないのは、世間じゃなくて君なんじゃないのか。」と。
同和地区の人と自分の子どもとの結婚を、「自分は許しても、親せきや周囲が反対するだろう。」と悩む方は多いと思います。しかし、許さないのは本当に親せきでしょうか。
子どもは、あなたから賛成してもらえれば、幸せに結婚できます。差別があることを知ったうえで結婚を認める、他人のせいにせず自分が正しいと信じることを選ぶ、私たちはそんな人間であるべきです。時代はついてきています。
レッスン1・レッスン2で述べたように
同和問題解決のためには、泣き懐かしむ柔らかい感情と、正しさを貫く堅固な意志の、両方が必要です。それは「優しさ」と「強さ」とも言い換えることができます。
「優しさと強さをあわせ持つ。」
考えてみれば同和問題だけでなく、すべての生活シーンで必要なことではないでしょうか。