曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

教え子バナシ。

歯医者の受付やスーパーのレジから「先生!」と声をかけられることがある。
10年も一つの学校にいると町には卒業生がうようよいて、
学校の先生って生きていきにくいよなと思う。
でも逆に、学校の先生でよかったなと思うこともたまにある。

夏の初めに近所の寿司屋に寄って、
「そろそろ先生が来られる頃だと思ってましたよ。」
なんて若大将から声をかけられたときは、
自分が食通の文豪かなんかになった心持ちがしました。
実際教えたのは弟の方なんだけど、
女でカウンターで握ってもらってそんな声をかけてもらえるのも、
一応「先生」をやっているから。
数少ない役得体験でした。

今回の東京行きの手はずを整えてくれたのは近○日本ツーリストのT君だが、
彼も私の教え子だ。
新採時の生徒なのですでに30代も後半、
所長なんてしていて素晴らしく仕事ができる。
安くて劇場に近くて食事のとってもおいしいホテルをあっという間に手配してくれて本当にありがたかった。
高校時代は成績も普通の子だと思ってたけど、
進学校で普通」だったんだから、今思えば頭もよかったんだろうなあ。

ワセダに行ってたマキから手紙が来た。
あいつが封書なんて結婚でもすんのかと驚いたが、
あんまり無沙汰が激しいので卒業報告に手紙を書いたということだった。
無事就職をするらしい。
手紙の中に、
イカリング、もう6年くらいか毎日つけてます。」というくだりがあって、
思い出すのに時間がかかった。
イカリング」とは、当時私がつけていた切りっ放しの革のブレスレットのことで、
熱烈に欲しがるのであげたのだった。
もとは私が担任していたヤンキーF(男)から何かの拍子にもらったのだから、
高価なものとか全くそういうことはない。
そう言えばその時彼女はとても喜んで、多分「七人の部長」の舞台にもつけて出たから、ビデオに残っているかもしれない。彼女は「剣道部長」だった。
大学時代はピンキーとキラーズのキラーズの人がやってるクラブでバイトで歌わせてもらってたとか言ってた。
華のある役者だったし確かに歌もうまかったなあ。

あと教え子と言えば越智君。
彼も優秀な生徒であったなあ。

春季全国報告は多分まだ続きます・・・。