曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

「間」について(今度こそ)。

前回のあらすじ:予餞会の後私をつかまえて舞台の感想を言ってくださる先生方が多いのだが、そこで私が感じたことの中から二つ書くとすると、一つ目は「予餞会は観客が一千人を超えているから成功したとき感想を伝えに来る人数も相対的に多いのであろうなあ」ということであるよ。

 

さて二つ目が「間」についてである。

 

今回の褒め言葉の中で最も特徴的だったのが「『間』に感動した」というものだった。

4、5人が「間」に言及していたし、

最も長く感想を述べた二人は両方ともしみじみと「間」について語ってくれたのであった。

「どこの『間』ですか?」と尋ねるのだが、

誰もその前後のセリフを覚えておらず(そりゃそうか)結局わからないままだ。

 

そう言えばある日の練習のとき主役が覚えてきたセリフをどんどん繰り出すので、

「セリフを言うことが大切なんじゃなくてそれで動いた感情を観客はわかってあなたのことを好きになるのよ」

「観客は演劇について何もわかってないけど人間だから感情が本当なのかウソなのかをわかってしまうのよ」

みたいなことをいつも部活で言っているけどあの時も言ったような気はするが、

そんなものが一朝一夕に身につくとも思わないので自分がやってみせる。

やってみせても模範演技はよい所を真似するのが難しく悪い所だけ真似てしまうものと相場は決まっているので多くを期待せずに後は自分たちの判断に任せた。

ある場面では「そこはもっとずっと待たないと観客には何が起こったかわからないよ」と言っておいたところ翌日だかに追いかけてきて、

「先生、ここは何秒くらい待ったらいいんでしょうか?」と聞くので、

「秒数じゃなくて、どのくらい待ったらいいかはあなたの血が知っている、あなたの中に流れている血液が知っているよ、あなたがちょうどいいと思う所がちょうどいい所なんだよ」

と言って帰った。

その場面での「間」だろうか、みんなが「感動した」と言うのは。

そうしてその場面がどこだったかを私は本当に覚えていないのだ。

だってどの場面でも「間」、というか「感情が本当であるところの流れやテンポ」というものは、どうしても必要なものですよね。

 

しかしまあ今ここに書いてみると、

いつの間にか私は禅問答かカンフーの老師みたいなセリフを言うようになっていて愕然とする。

道理で彼ら「先生がおっしゃられられたじゃありませんですか」みたいな敬語を遣ってきたよ。

私が老師感出してたからかなあ。

なんにしろ老師の短いヒントから自分の技をつかむとは主人公感出してますよね。

(最近私カンフー映画にハマってるんですよね。)