今年も予餞会の舞台が終わり、大成功でした。
事件らしい事件が起こらない台本で、
セリフも感傷的でまずくすると歯が浮くような事態になりかねなかったためそれはそれはものすごく悩んだのですが、
蓋を開ければ幾人もの先生方から「すばらしかった」「例年よりしっとりしていて泣きそうになりました」などとずいぶんお褒めの言葉をいただきました。
求めもしないのに褒めてくるというのはよほどよい時だけです。
まあ私が練習を見たのは直前3回だけで別に私が悩むことも喜ぶこともないと言えばそうなんですがね。
心配性なんですね。
なぜ歯が浮く展開にならなかったかと言うと、
特に主役男子二人が当日までにきちんと役を把握したからでしょうか。
最初に通しを観た時はほぼ全員のセリフが体育館後ろまで通らなかったので「このセリフが聞こえない(ほぼ全部)」「この部分がわからない(同左)」ということだけをきつく注意しましたが、
当然のことながら声を大きくしようとすると、
訓練されていない人たちは怒鳴り声になります。
予餞会ですから「余興の一つ」と割り切ればそれでもよかったのです。
「聞こえてナンボ」「筋がわかってナンボ」ですから。
でも彼らは本番には怒鳴り声でない、
ストレスなく聞こえる大きさの声で、しかも芝居を成立させた。
たった数日しかなかったのに。
何があっても明るく何にでも挑戦する主人公のそのひたむきさ、
能力に恵まれながら斜に構えて挑戦を恐れている友人のその哀しさ、
そんな二人のまあ言ってみれば「友情」が、
本番を観て初めて私に伝わってきた。
歯が浮く芝居になどならなかったんです。
危険な所にいたはずなのにそんな心配最初から全く必要なかったかのように。
(私二人に「ガンバレ」って思ってしまいましたもん。私もがんばるから、とも。やれやれですね。)
終わったあと彼らはそれは晴れやかな顔をして、
幾人かは体育館を出るところでお礼を言ってくれました。
「『写真』(というセリフ)のとこだけ出んくて!」と主役がしきりに言っていました。
セリフが飛びかけたわけですが、
観客から観ればなんの不自然もない程度の間で、
でもまあ本人からしたら永遠のような時間だったんでしょうね。
芝居あるあるですね。