曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

弘前中央の「あゆみ」、そして高校演劇の講評、それと私たち。

全国で観た、
弘前中央の「あゆみ」がとてもよくて、
BSで放映されるからあまり内容は書かない方がいいんだろうけど、
折りに触れて思い出して泣いてしまう場面がある。
 
審査講評の言葉を書き留めたプログラムをホテルに忘れて来てしまったので正確な表現ではないのだが、
審査員のお一人が、
テクニックとストーリーのうちストーリーは凡庸で、みたいなことをおっしゃっていたが、
あれは凡庸ではなくて普遍的、というのではないんだろうか。
個人的で、具体的なストーリーだ。そしてそれが万人に当てはまるんだ。だからみんな泣いていたんだ。
また顧問審査員のお一人が、
老人の腰の曲がり方はそうではなくてこうこうこのようなものなのだ、と、
わざわざ審査員の机の前に出て実演されていたが、
あの舞台での演者たちのあの年老いていく瞬間瞬間の感動は、
到底あなたに指導されて立ち上がる種類のものではないだろう。
 
審査講評の後、発表の前、
指導された畑澤先生が見えられて話をする機会があったのだが、
「僕は講評は聞きませんから。」ときっぱりおっしゃったので目からウロコが落ちる思いだった。
そりゃ先生は本当に聞かなくてもいいだろう。あれでは得るものは本当に何もなかったと思う。
 
しかしさて私たちはこれからどうしたものだろう。
私はけっこう何でも真面目に反省してしまうタイプなので聞くとマイナスになることも多いのだ。
特に今年のような講評は。
私には講評をすべて書き留める速記能力があるといつだかここに書いたことがあると思うけど、
それはどんなに自分たちにとってつらい文言でももちろん書き写すのであの日も全部写していたんだけど、
上記の顧問審査員の言葉の途中で一瞬聞き間違いかと思うような攻撃的な表現もあって結局聞き間違いではなかったんだけどだから写せなかった部分さえあるような、そんな講評だったのだ。
あれらの言葉は発した本人以外の何かのために少しでも益があるとして発せられた言葉だろうか。
 
まあそれはホテルに置いて来てしまったんですけどね。