曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

五人の部長 (H14.3.川之江高校演劇部記念公演プログラム掲載)

 3月1日、卒業記念に、身内だけで小さな公演を開いた。タイトルは、『七人の部長・エピローグ』。「七人の部長」のうち五人が卒業するので、越智優が続編を書き下ろしてくれたのだ。部長たちが卒業する日のひとコマを描いた、20分足らずの劇だった。

  ラスト近く、「またね!」と声をかけ合って、部長たちは別れて行く。
  舞台にはもう演劇部長と生徒会長が残るだけ。
  演劇部長がつぶやく。
  「『またね』って言っても、もう会わないんでしょうね。」

 おかしなことだが、私は時折、彼女らがまだ1年生であるかのような錯覚にとらわれる。3年間はまるで夢のように過ぎた。私の思い出すのは、ちょうど2年前の記念公演、『ホット・チョコレート』の全国出場を決めたままメインキャストが卒業してしまった、あの頃の彼女らだ。途方に暮れることさえ思いつかず、ただ泣いて、泣き疲れると練習するしかなかった。先輩に代わって、わずか数ヵ月後、全国の舞台に立たなければならなかったからだ。人と人とが信じ合うということは、いったいどういうことだろう。私にとって演劇はすでに何物にも替えがたいものだったけれど、それを誰に強制できるとも思っていなかった。なのに彼女らは、自分の限界さえ考慮に入れず、私の夢見る高みまでまっしぐらに駆け上がろうとした。

  生徒会長が「またね。」と言って去っていく。
  後ろ姿に演劇部長が声をかける。「またね!」

 演劇部長は、「また」会えると、信じていたのだ。もしくは「また」、会いたかったのだ。私はそう信じて演出した。そうして、そんな自分に少し驚く。4年前、「いつかまた会おう」という芝居を書いたことがある。ラストシーン、主人公は親友に「いつかまた会おう。」と言うのだけれど、二度と会うつもりはない。私は人生を、そんなふうに認識していたのだろう。

  生徒会長が振り返って笑う。
  そうして、去っていく。
  演劇部長は一人、ヤツシマ駅の構内に残される。

 けれど今、私にはわかっている。本当に、いつかきっとまた会えるのだということが。卒業して遠くへ行ってしまう部員もいるけれど、きっと会うべきときにまた私たちは会えるだろう。もしもたとえ会えなくても、また会いたいと、私たちは思い合っているだろう。それが「またね。」の意味なのだ。信じるということは感傷ではないと、信じられるものは世の中に存在すると、彼女らは3年間私に教え続けてくれた。

  一人駅のベンチに座る演劇部長のもとに、剣道部長が戻って来た。
  さっき「またね!」と言ったばかりなのに。
  「切符買ってない・・・。」
  演劇部長が笑う。
  剣道部長も笑う。

 「二人はたぶんもう少しだけここにいる。」―ト書きの最後にはそう書いてあった。そう、私たちはいつも「少しだけここにいる」のだろう。私が五人と「ここにいた」のも、人生の中のほんの少しの間に過ぎないだろう。だが、『ホット・チョコレート』の地区出場から『七人の部長』の全国優勝まで、実に一度も「負け」を知らなかった、まるで翼の生えた靴をはいたペルセウスのように皆で天翔けていったこの3年間を、私は一瞬とも、永遠とも感じていた。