曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

ドラマに出演!(私ではありません。)

うちの演劇部OGが4月からのドラマに出ることになりました。

レギュラー出演ですよ。

ああ嬉しい。

最近はCMとかも出ていたし。

詳しく書けないのがもどかしいけど応援しているのです!!

彼女の代は知っているだろうから、

彼女から下の代に情報送ろうと思います。

彼女から上の代でも情報知りたい人は私にLINEでご連絡あれ~💛💛💛

 

追記:二つ上の代までLINEしちゃいました💛

「こにゃにゃちはー♪」

「こにゃにゃちはー♪」とか言いながら職員室へ。

「あら先生、こんにちは!」とみんなもにこにこ挨拶してくれる。

本日私授業もないのにほてほて登校、

他の先生方もいつもよりは余裕があって、

天気もよければ機嫌もいい。

M子先生からは「先生、ぜひ同じ学年に上がってください!」なんて言ってもらう。

転勤が決まった先生方が何人も親しく話しかけてくれる。

私は現在職場に恵まれているんだなあとしみじみ思う春の日でした。

優秀な人に来てほしい!

本校には私の他にも非常勤講師は多くいます。

さて非常勤講師の中でも、

特に介護や決まった用事のある方などは、

当然「その授業」以外のコマに仕事をあてがわれることをとても嫌います。

嫌う、というか、契約違反だ、無理だ、と言います。

そりゃそうです。

私も同意見です。

 

そもそも「授業」と、その事前準備と、事後処理、だけで

その時間だけでは絶対無理です。

だから基本的に他の時間の勤務を強いられなくても、

授業を持ってるだけで他の時間もかなり働いているわけで、

その上に別の時間まで奪われるのはおかしいと思う、というわけです。

そりゃそうです。

ホントにそりゃそう、

なんだけど、

「正規の教員の方は残業代をもらっているけど私たち非常勤はただ働きですから!」

と言うのにだけは、

やっぱりそれまで通りふむふむ頷くことはできないんですよね・・・。

 

「残業代」って、

正規教員を何十年もやってきたけど、

1か月に100時間近く残業してきてたぶん定額1か月4000円、とかですよ?

(土日も部活とかしてると残業時間はそのくらいになる。)

(これが世に言う「定額働かせ放題」。)

それって結局「ただ働き」みたいなもんじゃないですか。

結局みーんなただ働きさせられてるんですよね。

正規非正規で分断させられてるバアイじゃない。

 

教育にお金かけない国はまずいですよ。

いい人材が集まるように教員の給料にお金出さなきゃ。

 

でもまあ残業を減らそうというような流れはさすがに学校にもできてきていて、

そこはいいなと思っているんだ。

私たちのやってきた狂気の働き方は受け継がれるべきじゃない。

そのうち給料ももっと上がるだろうと信じている。(あ、正規教員のね。)

走って行く。

昨日のこと、

朝からよいお天気、

授業は4限目からなのでゆっくりほてほて登校していると、

後ろからタッタッタッタッとやけに速い足音がして、

中高生と思しき男子が私を追い抜いて走って行く。

 

中高生、というけれどみなさんは中学生と高校生の区別がつきますか?

私は職業柄明確に区別がつきます。

多分同業者はみなそうです。

でもその子についてはわからなかった。

 

その子は付属中学のバッグを背負っていた。

じゃあ中学生じゃないかと言われるかもしれないけれど、

気配が、

明らかに私の知る「高校生男子」のそれだったのですよ。

第一、中学生なら今ごろ授業中じゃないか。

いや、それを言うなら高校生だって今はまさに授業中のはずじゃないか。

なんでこんな時間に、

中学生だか高校生だかわかりにくい年代の男子生徒が、

私の向かう高校に向かって息せき切って走って行くんだ?

 

そこでようやくはっと気づいた。

高校の合格発表だ。

そう言えば合格発表の日であった。

発表は10時、時刻は9時58分頃、

彼は時々疲れて速度を緩めてはまたダッシュで高校に向かって行く。

 

彼は間に合ったろう。

私が着いた頃には発表時のどよめきが終わって、

ただ掲示板の前に多くの中学3年生とその保護者や教員が生き生きと集まっているのが見えた。

横を通り過ぎて職員入口へ。

春の日差しがまぶしい。

新しい年度へ向かう。

また新しい高校生が入ってくる。

漫画のセリフのハナシのつづき。

槇村さとるの「愛のアランフェス」も好きでいろんなセリフを覚えているが、

読んだ当初はそうでなくても年を重ねると意外なセリフが胸に響いてくるもので(とにかくたくさん覚えているので何かの拍子に何かが浮かんでくるわけですね)、

この作品の場合のそれは、

その昔有名なフィギアスケーターだった主人公の父親が招かざる客に言ったセリフ、

「帰ってくれ。奥には病人が寝ているんだ。」

という何の変哲もないものである。

奥には主人公の母親が臥せっている設定だったと思うが、

私は中年以降に幾度かこのセリフを思い出して、

自分のこの体の弱さは、

別の世界線であれば誰か家人にこのように言われていたくらいの人間だったのではなかろうかということをよく考えたのだった。

実際に私の父方の祖母は、

私の物心ついた頃にはすでに病人として家の奥で寝ていたもので(主人公の母親と同じように)年を取る前に亡くなってしまった。

それを私はこんなふうに1年365日朝から晩まで働いているというのはいったいどうした間違いなのだろうかと時折ふと我に返って考えたのである。

「帰ってくれ。奥には病人が寝ているんだ。」

 

今定年までを働き終えて思うのは、

今くらいの負荷であれば「奥で寝ている病人」ではなくていられるのかもしれないなということだ。

名作のセリフは一生。

今は読む習慣がなくなってるんですが少女時代は漫画に熱中していました。

ポーの一族」とか「11人いる!」とか「ベルサイユのばら」とか「エロイカより愛をこめて」とか、大好きでした。愛してました。

ちょうど少女漫画は黎明期を過ぎて黄金期に入ったころ、

伝説の作品が続々と登場してきてそれらをリアルタイムで受け取ることができた。ラッキーでした。

 

好きな漫画は繰り返し読むのでセリフを覚えてしまいますよね。

拙作「ホット・チョコレート」にもそんなセリフがいくつか入ってます。

たとえば「唐突なご指名ですな」というキッコのセリフは「エロイカより愛をこめて」の「ボーナムくん」のセリフそのままだし、

クライマックスの「みんないなくなる!」というミオのセリフは、「ポーの一族」でオズワルドが「みんな私を置いていった!」と泣くシーンの影響を多大に受けています。

 

 余談ですがオズワルドはそれまで全くそんなことを思っていないふうだった。メリーベルを連れ去ろうとするエドガー(バンパネラ)を指して「それは人ではないものだぞ!」と叫ぶオズワルド。読者(私)は彼がメリーベルを失うことのみを恐れエドガーを憎んでいるのだと信じるのだが、二人が去ったその部屋で、彼は「みんな私を置いていった」と泣くのである。彼が、エドガーを、敵ではなく失いたくないものそれ自体、その象徴と捉えていたということが、そこで初めて読者にわかる。いやオズワルド自身にもこの時わかったのではないか。今手元にこの作品を持ってはいないがあれらのセリフやオズワルドの白い泣き顔は永久に私の心の中にある。

 

 余談の続きだが、マドンナは、そう言って泣く恋人オズワルドの頭を膝の上に抱いて「置いていきませんとも」「何もかも取り戻せますとも」と語りかけるのである。こういう現実的な人間による慰めは現実的な効力を持つものだ。やがて彼らは子をなし(何もかもを取り戻して)エドガーたちの決して手に入れることのなかった人間の営みそのものの中へ溶けていく。

 

(「ホット・チョコレート」に戻ると、ラスト近くのミオの「私はここにいるから」というセリフもこのマドンナの「置いていきませんとも」からの影響を強く受けているというわけです。)

 

私の家では漫画は禁じられていて買ってもらえることはなかったから、

これらのあまりにも趣味のよい、天才たちの書いた漫画の数々は、

すべて隣の家に住んでいた同い年の「Tちゃん」が貸してくれたものだ。

「小学生のラブロマンス」みたいな少女漫画が多かったのにその中から正しく前述のあれらの名作のみを自分の目で抽出して私に読ませてくれたTちゃん。

彼女は小学生の時から洋画にも興味を持っていて、

その慧眼には大人になりストーリーテリングについて考えるようになった今も、というよりも今にしてますます恐れ入る。

隣に天才少女が住んでいたんだな。

 

大人になってから気づいたことだが、

私は情報量に圧倒されるという性質を持っているようで、

国語の先生だというのに昔から書店や図書館が苦手だった。

(そもそも情報を得るために外に出て行く姿勢に乏しいのだし。)

そんな中で幼い頃のこのTちゃん、

学校の図書室好きだった妹、

大学文学部の仲間たち、

そしてその後は長きにわたり越智くんが、

私にその時々の摂取すべき名作を教えてくれ与え続けてくれたのであって、

奇跡的に恵まれた人生を送ってきたんだなあと思うことです。

感謝しています。

名作の名作たるゆえん。

授業から帰って来ると、

今年1年隣の席だったM子先生(40代)が「お疲れさまでした」と声をかけてくれる。

「やー死にましたねー。」

と、荷物を机に置きながら私。『木曽の最期』は1年最後の定番である。木曽義仲が死ぬのである。

「あ、もう死にましたか?」

「ハイ、今年も死にました。」

「今年も死にましたか、あはははは。」

 

何度教えて来ても新たに死ぬ。

毎年初めて読む生徒の前で義仲と兼平は死ぬ。

そして私は毎年新たにダメージを受けるのである。

名作の名作たるゆえんである。

 

それにしてもこの1年間大変気持ちよく過ごさせてくれた、

仕事のできる、思いやりのある、M子先生には本当に感謝してます。