今は読む習慣がなくなってるんですが少女時代は漫画に熱中していました。
「ポーの一族」とか「11人いる!」とか「ベルサイユのばら」とか「エロイカより愛をこめて」とか、大好きでした。愛してました。
ちょうど少女漫画は黎明期を過ぎて黄金期に入ったころ、
伝説の作品が続々と登場してきてそれらをリアルタイムで受け取ることができた。ラッキーでした。
好きな漫画は繰り返し読むのでセリフを覚えてしまいますよね。
拙作「ホット・チョコレート」にもそんなセリフがいくつか入ってます。
たとえば「唐突なご指名ですな」というキッコのセリフは「エロイカより愛をこめて」の「ボーナムくん」のセリフそのままだし、
クライマックスの「みんないなくなる!」というミオのセリフは、「ポーの一族」でオズワルドが「みんな私を置いていった!」と泣くシーンの影響を多大に受けています。
余談ですがオズワルドはそれまで全くそんなことを思っていないふうだった。メリーベルを連れ去ろうとするエドガー(バンパネラ)を指して「それは人ではないものだぞ!」と叫ぶオズワルド。読者(私)は彼がメリーベルを失うことのみを恐れエドガーを憎んでいるのだと信じるのだが、二人が去ったその部屋で、彼は「みんな私を置いていった」と泣くのである。彼が、エドガーを、敵ではなく失いたくないものそれ自体、その象徴と捉えていたということが、そこで初めて読者にわかる。いやオズワルド自身にもこの時わかったのではないか。今手元にこの作品を持ってはいないがあれらのセリフやオズワルドの白い泣き顔は永久に私の心の中にある。
余談の続きだが、マドンナは、そう言って泣く恋人オズワルドの頭を膝の上に抱いて「置いていきませんとも」「何もかも取り戻せますとも」と語りかけるのである。こういう現実的な人間による慰めは現実的な効力を持つものだ。やがて彼らは子をなし(何もかもを取り戻して)エドガーたちの決して手に入れることのなかった人間の営みそのものの中へ溶けていく。
(「ホット・チョコレート」に戻ると、ラスト近くのミオの「私はここにいるから」というセリフもこのマドンナの「置いていきませんとも」からの影響を強く受けているというわけです。)
私の家では漫画は禁じられていて買ってもらえることはなかったから、
これらのあまりにも趣味のよい、天才たちの書いた漫画の数々は、
すべて隣の家に住んでいた同い年の「Tちゃん」が貸してくれたものだ。
「小学生のラブロマンス」みたいな少女漫画が多かったのにその中から正しく前述のあれらの名作のみを自分の目で抽出して私に読ませてくれたTちゃん。
彼女は小学生の時から洋画にも興味を持っていて、
その慧眼には大人になりストーリーテリングについて考えるようになった今も、というよりも今にしてますます恐れ入る。
隣に天才少女が住んでいたんだな。
大人になってから気づいたことだが、
私は情報量に圧倒されるという性質を持っているようで、
国語の先生だというのに昔から書店や図書館が苦手だった。
(そもそも情報を得るために外に出て行く姿勢に乏しいのだし。)
そんな中で幼い頃のこのTちゃん、
学校の図書室好きだった妹、
大学文学部の仲間たち、
そしてその後は長きにわたり越智くんが、
私にその時々の摂取すべき名作を教えてくれ与え続けてくれたのであって、
奇跡的に恵まれた人生を送ってきたんだなあと思うことです。
感謝しています。