「もうオレはマスクをつけた芝居なんて観たくないんですよ。」と1年前越智が言った。
地区大会が中止になって県大会が迫っていてまだ台本の「だ」の字もない、
それでも越智がこの世相の中で「明るい芝居」を書きたいと思っていることが痛いほど伝わってきた。
「『リハーサル』を舞台にしようと思うんです。」
すごい、それならマスクをつけなくても成立する。天才じゃないのか。
だが本人はいっこうに台本を書く気配がない。
県大会までもうあと1週間と1日、というある日、
こちらも弱り果てて電話をし、
いくつかのタイトル候補を聞かせてもらうと果たして「きょうは塾に行くふりをして」というのがある。
もうあまりに素晴らしいので絶対にこれだと思った。
なぜか浮かない声の越智を前に私の妄想は膨らむばかりだった。
「『塾に行くふりをして』、演劇のリハーサルの助っ人に行くんだね!! そしてその助っ人はF田(後のミナト)だね!? なんて素晴らしい話だろう!!」
後で話してくれたのだが、
越智はそれまで「リハーサルの話」または「塾をサボった生徒の話」のどちらにするかを決めかねていたのだそうだ。
「二つが一つの話になるとは思っていませんでした。あれがなかったら書けなかった。」
彼はなんと電話の翌朝には台本の4分の1ほどもを書き上げて(それはほぼ現在の「きょうは塾に行くふりをして」の通りであり、最初にキタムラ役のミナトが手を振って緞帳が下りて行き上がって来たあたりまでである、いったいどうしてあの短時間(短期間ではない)に登場人物たちの名前が決まり全体の構成が決まり最初のシーンが決まりあれらのセリフが現出したのかそれは全く私の想像の及ぶところではない)、
それがちょうど県大会1週間前の日曜日であり、
送られてきたハシからわれわれは視聴覚でどんどん芝居を立ち上げて行き、
そして県大会5日前には完成初稿が送られてきたのであった。
翌日からは越智も練習に加わった。
まだ大道具には「鳥居」もなく(したがって神頼みもなく)、
話の細かい所は整合性が取れておらず、
そして男子は誰も長いセリフに耐えられない状態(上達したのは年度が替わってから)だった、
でも何か、
胸の奥に灯がともるような、
こわいものなど何もないような、
でも逆に何もかもが壊されるかもしれないことを心から怖れていたような、
私は大切なものを抱えて遮二無二走っていくような気持ちであの頃視聴覚にすわっていた。