先日の誕生日に演劇部じゃない生徒から演劇についての嬉しい手紙をもらった。
長めの手紙で主に二つのことについて書かれていて、
一つは先般このブログでも紹介した書籍『コロナ禍三年 高校演劇』の感想(買ってくれたそうだ)で、
もう一つは先日の明教祭(文化祭)で上演した「あゆみ」の感想だった。
今手紙を見ずに自分なりにまとめてみると、
一つ目、
先生(←私のこと)の文章には今回の全国最優秀に至る体験を「まるでデザインされたように特別な出来事の数々」とあったが、
他の人の文章を読むとどんなに努力してもどんなに素晴らしい作品を創っていても、
このコロナ禍は上演までのどこかで希望を断ち切られるという悲痛な経験に満ち満ちていて、
その中での東高演劇部のこの『デザイン』は本当に奇跡への道だったと思う、
そしてその奇跡はやはり当事者の情熱や作品への愛情があってこそ、
と書いてくれているのである。
二つ目、
彼女は現在三年で、
ダンス部だったがずっと演劇部が気になっていた、
演劇ができないことを少し後悔もしていたそうだ。
それが「あゆみ」を観ていて180度変わったというのである。
今回の舞台、
客席前列に前年度副部長のT(『きょう塾』のヒトミ)がいたそうで、
彼女は後輩たちの舞台をどんな想いで観ているのだろう、
自分なら後輩のダンスの舞台を観れば『あそこは自分ならもっと高くジャンプする』『あそこの表情はもっと違うはず』などと考えてしまう、
自分はこの「あゆみ」に心から感動した、
もしかしたら自分はダンスをやりながら「演劇の舞台を純粋に感動をもって鑑賞できる」という立場をこそ手に入れたのではないかと気づいた、
と言うのである。
彼女はエッセイコンテストや読書感想文の入賞経験を持つ生徒で、
文章の主題はやはり他者の共感を呼ぶものだ。
特に二つ目については、
ああその立場こそは私が手に入れられなかったプラチナチケット、
私が好んで他校の芝居、他団体の芝居を観に行くことができないのは、
まさに彼女と同じ気持ちで観てしまうからということが実は大きいのではなかろうか、
と、
半世紀も後に生まれた者に新たな視点を与えてもらったことであった。
(でもTは純粋に舞台に感動していたかもしれん。)
(賢いんだか賢くないんだかねT。)