曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

アドリブ。

うちの生徒課長は若いんだけどものすごく話がうまい。
そう感じていたのは私だけじゃないらしくて、
先日国語科の先輩教師がその極意を聞いてみたらしい。
すると、その場で生徒たちの顔を見てから話を決める、と答えたらしい。
本当だろうか。
多分、かなり本当なんだと思う。

テーマを決めておいて、その場の雰囲気を読んで、
例え話や注意事項もその場で思いついて話す。
「まるでその場で思いついて話しているようだなあ。」
と感心していたので、驚くというより、謎が解けたという感じ。
やるなあ。

私はかなり行き当たりばったりの性格なので、
若いときは何に対してもおおよそ「準備」などというものはしなかった。

私を準備だらけの人間にしたのは、新規採用2校目の学校である。
前にも触れたが、生徒指導が困難な学校だった。
入念に予習をし、ノートにびっしりと発問計画と板書計画を書き込み、
授業中、どんな思いがけない出来事がマイナス方向に足を引っ張ろうとしても、
この計画に沿って進めばよい授業になるだろう、という路線を、ノートと頭にたたきこんで授業に臨むようになった。

特に力を入れたのは、同和教育と呼ばれるホームルームだった。
人権学習は、おざなりにすると傷つく生徒が出てくるから。
長い長い時間をかけて準備した。
そのたびに、次に同じ主題でホームルームをする時に、このノート、このプリント、この準備でできるようにと願って作りこんだ。
同僚には、誰がやっても成功するだろうと思われるまで指導案を練って回した。

だけど所詮、
準備は芝居の「台本」に過ぎない。
本当に生きた授業や生きた話をするためには、
その人の、今そのときの、血肉が必要だ。

最近の私は、準備の先の、遊びの部分を増やそうとしている。
「準備をする」ってことは私にとって、身につけるべきとっても大切な習慣だったんだけど、
本当に大切なのは、今自分がこの場にいて考えてるってことだと思う。
人生の、そんな段階に入ったキモチ。