曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

読書感想文講座・実践編(H19.読書感想文選評・全校プリント)

 よい感想文を読ませてくださいと毎年ここで訴えているのだが、今年もいっこうによい感想文が増えなかった。なぜだろう。「主題を読み取れ」とか「素直の先の感想を持て」とか「自分の切実な問題に触れろ」とか小言を繰り返してきたが、実際それは形になりにくいものだったのだろうか。不可能かどうか、一つ今年は、自分で試してみようと思う。題して「読書感想文講座・『実践編』」。読書感想文なんて高校時代に書いたきりなんだが、宮本輝の「トマトの話」で、やってみます。
 
                               
「トマトの話」を読んで                     

 「トマトの話」は、道路工事のアルバイトをする大学生が、飯場の病人に頼まれてトマトをあげる話である。病人は、トマト五つを抱きしめたまま、ある日、血を吐いて死ぬのである。ずっと前に読んで、長く心にこびりついていた短編だ。物語の最後で、主人公の「ぼく」は思う。「あの男にとって、トマトはいったい何であったのか。」と。私も思う。この小説において「トマト」とは、いったい何なのだろうかと。そのことを、頭の隅でずっと考えていた。
 
 主人公の「ぼく」は、父親に死なれたため、日給の高いアルバイトを探してこの工事現場にやって来た。ブルドーザーの運転手から、「こら!どきさらせ。ぼやーっとしとったらひき殺すぞォ。」と怒鳴りつけられ、「びっくりしてうしろに跳びのくと、うしろから別のブルドーザーが迫って来て」、いきなり作業は始まった。「交差点のど真ん中のアスファルトを補修する作業」である。真夜中の工事中、信号機は止められる。その間の交通整理が主人公の役割だ。「交差点の真ん中に立つやつは、ぜったいに気を抜くなよ。それで死ぬか大怪我をしたやつが、今までにニ、三人はおるんやから。」
 
 十日間のアルバイトの描写はすさまじい。「ダンプの荷台がせりあがり、巨大な量の熱いアスファルトがぼくのすぐ傍に積みあげられた。『こらァ!死にたいのかァ。』主任がぼくを見て大声を張りあげた。ぼくは安全なところを捜して走った。」「お前、自分でも気がついてなかったやろけど、もう何遍も、ダンプのうしろに当たりそうになってたでェ。」ひ弱な大学生を襲うすさまじい現実の数々。しかしこれはまさに「現実」である。実際にこうして働く人々は存在し、その働きで道路は敷かれ、私たちの生活は立ち行くのだ。ノンストップで繰り広げられるこの現場の光景は、この小説の中で「現実」の象徴として描かれている。耳をつんざく轟音を上げ、人々を駆り立て、少しの間もとどまることを許さない、それが「現実」の社会だ。私たちはその中で、息もつかずに走り続けて生きている。

 そんな現実からはじき出され、行き倒れた中年の男に、「ぼく」は一人、優しく接した。「トマトが欲しいんじゃが。」と、彼は言った。「トマトみたいなもん、いまここにあるかいな。」という炊事婦の言葉を待たずとも、この現場に「トマト」はあまりに不似合いだ。しかし「ぼく」は、トマトを買ってその病人に手渡した。彼は五日間それを食べず、それを抱きしめて死んでいく。そして死ぬ直前に、「ぼく」に一通の手紙を託したのだ。下手くそな字で書かれたそれは、女性の名宛になっている。人生の終わりに書いた、自分とは違う姓の女性への手紙。「ふたりにとってとても大切なことがしたためられて」いるだろうと「ぼく」は思う。それなのに、「ぼく」はその手紙を、あろうことか工事現場に落としてしまうのだ。あの熱いアスファルトの下に。削岩機とブルドーザーの轟音の中に。

 「頼みます、このアスファルト、もう一回はがしてください。この下に、手紙が落ちてるんです。」
 「ぼく」がブルドーザーの運転手にこうすがったとき、覚えず、私は泣いてしまった。無理だからだ。どんなに大事な手紙かを知っている私にさえ、それは無理だとわかったからだ。哀願しながら「ぼく」は泣き出す。「ぼく」の真剣な願いは、なんと馬鹿げて聞こえるのだろう。人生に敗れて死んでいく、この弱者の最後の希望を叶えようとすることは、ここではなんと馬鹿げた行為に過ぎないのだろう。病人は「ぼく」に手紙を託し、トマトを抱きしめ死んでいった。しかし「ぼく」はその大切さを知りながら、「現実」の前になすすべもない。「トマト」の象徴するものとは何か。それは、現実社会には受け入れられない、はかない、祈りのようなものだ。私たちが心の内側に持つ、か細く弱い、そして温かいものだ。人を愛する気持ち。誰にも明かしたくない秘密。そしてそれを守りたいと願う心。しかしそれらは叶えられない。強大な現実の前に、それらは、はかない感傷でしかありえない。アスファルトは黒く硬くそれを閉じ込め、そこに朝日が照りつけるばかりだ。

 私たちは、あまりにデジタルに力強く進む社会の中で、しかもその恩恵を被りながら生きている。その中で、けれど私は、どうか「トマト」を忘れずにいたいと願う。人がそれぞれの心に抱く、あの鮮烈な赤色の果実を。恐ろしいほどのあわただしさの中で、主人公が男との約束を忘れずトマトを買ってきたように。そしてその後の人生で、文章を扱う職業を選んだように。私は国語を教える。私は演劇を続ける。この硬質で機械的な現実の中で、心に柔らかく哀しいものを抱き続けたい、そうできるだけのしたたかさを持っていたい、叶わぬ願いをいつも願う。


 これでちょうど原稿用紙5枚です。書いてみると時間がかかった。高校生も大変ですね。さて「主題」を読み解くこと、それを「自分の問題」と結びつけること、なんとかわかっていただけたでしょうか。ではそういうわけで、来夏こそ、よい感想文を待っています。