曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

ニワトリが先か?タマゴが先か?(読書感想文1年生選評・H23全校プリント掲載)

「現代文てどうしたらできるようになりますかね?」
と、先日掃除の時間に男子生徒から尋ねられた。掃除をしながらざっくばらんに話すので教員の方も本音が出る。
「そうねー、現代文て、できる人はできるし、できない人はできないよねー。」
「やっぱり昔から本読んでないとダメとか?」
「それは違うよ。『本読んだから現代文ができる』ようになるんじゃない。もともと『現代文のできる人が本読む』んだよ。本の内容が理解できておもしろいから読むんだね。」
「あー、やっぱり。俺『人間失格』とか読んでも全然おもしろくないもんなー。」
「理系だからねー。・・・え。・・・『人間失格』とか読むの?」
「『朝読』で。」
 「朝読」と言うのはこの春からSHRで実施されているアレである。「朝読書」である。急に始まったので、図書研修課や担任の先生方のご苦労はいかばかりか、と思っていたが、いざ始まってみると、生徒は意外にも「普通に」受け入れているようだ。その「朝読」で、彼は太宰治の「人間失格」に挑戦していたのらしい。
 
前置きが長くなってしまったが、さて「読書感想文の選評」である。実は今年の一年生の感想文は、なんと全体的にレベルが高かったのである。こんなことを書いたのは本校に来て初めてだ。これまでは、駄作の山の中にほんのいくつか優れた作品があってなんとかそれを出品していた、というような台所事情であったのだが、今年はここに名前の挙がらなかった生徒の中にも、次点候補がたくさんいた。私が読んだ(副担任をしている)HRの中だけでも、特選のSさん、入選のKさんに続いて、なんとあと十七点は佳作候補に挙げられる読書感想文があったのだ。あのクラスだからだよ、と言う人がいるかもしれないが、例年であればこの類型のクラスにも、中には、「教科書を読んで」、であるとか、ひどい年には、「年賀状を読んで」、とか言うような読書感想文があったりした。(けっこう成績のよい生徒であった。)それが今年は皆無である。当然と言えば当然のことだ。しかしその「当然」が今年に限ってクリアできていたということだ。
 
私はこれまで毎年ここに「読書感想文講座」を書いては、みなさんに、よい読書感想文を書くようにと訴えてきた。いわく、「初級編」。「上級編」。「実践編」。「盗作するな編」。「中級編」。等々。しかしいっこうに全体の質は上がらなかった。では何が全体の底上げを実現させたのか。その原因は、もしかして、ひょっとすると、アレなのだろうか。まさかと思うがあの、「朝読」であったりするのだろうか。この春に始まって、この秋に成果が出るなんて、効果とはそんなに早く現れるものなのか。本当にそうなのだろうか。
 
そう言えば今年、全然知らないクラスに自習監督に行った時など、「どう見てもスポーツ系」の男子生徒が机の中から当然のようにハードカバーを取り出して読みかけのページを開き静かに続きを読み始める、という今までにない現象が、時おり教室で見られた。長くこの学校にいるが、これは驚くべき光景だ。確かに、サッカーの長谷部誠選手など、自著「心を整える」の中で自分の読書経歴を「普通に」披露しているし、昨今のスポーツ選手は本くらい教養として「普通に」読んでいる。しかし、残念ながらこれまでの本校にそんな「普通の」生徒はいなかった。少なくとも私は見たことがなかった。それが今年は現れた。そして読書感想文の質が上がった。そうなのか。本当にそういうことなのか。
 
 いったい「本を読む」ことによって「現代文ができる」ようになるのだろうか、それとも「現代文ができる」者のみが「本を読む」ことに耐えうるのだろうか。ニワトリが先か、タマゴが先か。前者(本をよむこと)をニワトリ、後者(現代文ができること)をタマゴだとすると、みなさんはどちらが先だと考えるだろうか。
 
私はどちらかと言うと悲観論者である。だからタマゴが先だと思ってしまう。例えば私はスポーツが苦手だ。スポーツに親しんでいればスポーツができるようになるなんて信じない。最初からスポーツが得意な人だけがスポーツをやりたがっているんじゃないかと思う。(だから私はスポーツはしません。)同様に、本を読んでいれば現代文ができるようになるなんて妄想に過ぎない、最初から現代文が得意な人だけが本を読もうとするのだろう、そう思ってしまうのだ。しかしここに来て、いや、そうではないのかもしれない、と思う。もしかしたら、ひょっとしたら、ニワトリが先なのではないか。よしんばそうでないにしろ、どちらもが、どちらもに、影響し合っているのではないか。苦手であっても「本を読む」ことが、読書感想文の質を上げ、「現代文ができる」ように導くのかもしれない。そうなのかもしれない。そうだとしたら、その考えは、どれほど私を自由にするだろう。
 
「太宰だったら『ロマネスク』とか『畜犬談』とかもっと明るい話を読んだらきっとおもしろいと思うよ。」
掃除中、私は最後にそう言った。
 
読みたまえ。君たち。そこから始まることが確かにある。