曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

国立劇場での拍手。(きょうは塾に行くふりをして)

昨日は久しぶりに視聴覚に集まって越智くんや森先生と話しているところにF田(ミナト)が来て、

「僕ら国立劇場のあと時間がなくてあのまま解散になってしまったのでちょっとお話がしたいんですが。」「ああいいでしょう。」

というわけでぐるりと3年生が集まって来てあれやこれやと話をする。

そのうち2年生も一緒になって話をする。

 

「オレずっと思い出しとるからね、一つ一つ。」

と越智くんが言ってみんなうんうんと頷いて私もホントにそうだと思う。

何が嬉しいって国立劇場の芝居が自分たちとしても大成功だったことなのだ。

「全国大会が88点だったので。」とF田が言って、

「うん、不完全燃焼やったから国立で挽回したかったけどやっぱそれは難しいかなって。」とI田(いぶき)。

全国優勝しても学校に帰れば取材とかほとんどなくて他の部と比べて地味なものだが、

芝居を観た他校、他県の演劇仲間だけはいろいろと褒めてくれたらしく、

ボツボツとそんな話をするのを聞いていると勝手に自分の息子や娘が褒められたようで嬉しくなって笑ったりする。

 

そうこうしていると森先生が国立劇場公演の撮影ビデオ(撮影森)をホワイトボードの大画面に映してくれて、

私たちはあれから初めて自分たちの上演を観たのだ。

 

日が暮れていく視聴覚の暗幕を閉めて、

国立劇場の緞帳が上がって行く。

私は視聴覚の一番後ろの席に座ったので私の前にはそこで上演した彼らの後ろ姿が見える。

彼らは食い入るように自分たちの芝居を観て、

ときに仲間と笑ったり言い訳をしたり頭を抱えたり興奮して何かを話したりしている。

記憶していた通りの間合い、

記憶よりもずっと長い会場の笑い声、

自分たちが仕掛けたのに自分たちも爆笑する。

ずっと練習していたからそんなこと知っているのにリハが止まるシーンで胸が詰まる。

そして緞帳が下りていく。

当初は「いぶき」が最後に本物の舞台監督となったところで芝居を終える、

予定だったが、

最終形態としては思うところのある表情で歩いて行く中を緞帳が下りていく。

 

緞帳が、

下り始めたところで万雷の拍手が来た。

緞帳が下りてから客電を上げる(場内が明るくなる)までの秒数は通常の倍を指示していた。

すぐに明るくなりすぎると情緒がない、

明るくなるまでが長すぎると拍手が途切れて格好悪い、

私は常にびくびくしてそんなことも計算しておくのだが、

あの日の拍手は想定外だった。

Twitterにも書いていただいていた通り長い、とても長い。

「うわー、拍手ながっ。」と喜んでいた彼らも、

客電が上がって明るくなってからも大きくなる一方の拍手をその耳で初めて聞いて、

「なんで?」「なに?」と戸惑い始めた。

緞前にインタビュアーが出てスポットライトが当たるとようやく途切れ、

しかし幕間インタビューに部長副部長が登場するとまた大きな大きな拍手が湧き起こり、

インタビューを終えて退場する彼らの後ろ姿にまた万雷の拍手が送られた。

その音は帰りを促す国立劇場の音楽と交錯してしばらく続いていた。

 

夕暮れの視聴覚を後にしながら、

「なんであんなに拍手長かったんやろ。」みたいにJ太郎(マルハシ)が言うので、

「君らに出て来てカーテンコールやってほしかったからや。」と私が言った。

「えっ、そんならオレらカーテンコールしたかったのに。」とO石(カズキ)が言ってその後すぐに、

「でも緞帳上げられてもオレら泣きながらバミリ剥がしよったという、」とか話していたのでおかしかった。

はいつくばってバミリテープを剥がしていたかね君たちは。

 

第三教棟を出て通路棟を歩いて、

本館に入って職員室と3年玄関への分かれ道で挨拶する。

「じゃ、君ら、またな。」

「お疲れさまでしたー!」

仲がよいのでその後もまたつまらない話をしながら去って行く。

次にみんなで会うのは卒業式かな。(「文化祭ですよ!」とI田(いぶき)が言っていたかもしれない。)

いつか見た光景を繰り返しながら、

特別な青春の日々が目の前で過ぎて行く。