何年も前のことだが職場に私を目の敵にする人がいて、
(今現在の小トラブルなんかは相手に問題があると周囲もわかっていることだがら気にしなければ済むだけの話だが、)
当時の「彼女」は周囲の信頼も厚い人だったから、
あの頃は精神的にあまりにこたえて私は体も壊したことだった。
無視され続けた。
私以外の人には美しいほどの笑顔を見せて玉を転がすように笑うのだった。
できた職場で、
みんなで集まって誰かの陰口を叩くというようなことは私の知る限りなかった。
信頼できそうな人に相談してもあたりさわりのない返答があるばかりだった。
本も読んだ。
誰かに怒りを向けることは自分をも傷つけること、
相手ではなく自分をコントロールしなさい、とばかり書いてあった。
もしもあの時、
「あいつは嫌なヤツだよね、どうしようもないクズだ、実は自分もこんなことをされたんだよ、なんと底意地が悪いヤツだ、誰もあんなヤツ相手にしてないよ、自分は一生許さない、張り付いたような笑顔をしているけど中身が醜いことなんかバレバレだからね、あわれだよね、あなたもひどい目に遭ったね。」
と誰かが一緒に心から憤ってくれていたなら、
私は体も壊していなかったのかなと思う。
実際数年後に同じように彼女に無視された人の口からまさにそんな言葉を聞いて初めて、
長いこと私の中で傷だらけでいた何かがすーっと消えていったのだから。
ほしいのはきれいごとじゃないんだよね。