曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

花柄な祈り(四国地区高等学校演劇研究大会結果報告 H19.3.1.生徒会誌「門」掲載)

 中庭に、全国二連覇記念の石碑が置いてある。「ホット・チョコレート」。「七人の部長」。彫られているのは、それぞれの優勝演目なのである。四国でただ一校が行く夏の全国に出場し、そこで優勝し、あまつさえそれを二度繰り返した。あれから五年。歴代の部員が涙を飲んだ四国大会で、私たちは今年、春の全国大会出場権を手にした。悲願だった夏の全国にはあと一歩届かなかった。けれども、私たちは嬉しい。今年の演目は「花柄マリー」と言った。

 「花柄マリー」を最初に上演したのは九月の東予大会だ。書いたのは「七人の部長」の作者、コーチの越智優氏である。「花柄」とは、何があってもあまりに明るく前向きな部員たちの姿を見てひらめいた言葉だと言う。読んだ瞬間から素晴らしい芝居になる予感があった。しかし、東予での評価は思わしくない。それどころか、このままでは県大会を突破できない可能性すらあった。東予、愛媛、四国の大会レベルはこの五年で目に見えて上がっていたからだ。「一生懸命やろう。いつ終わっても『悔いはなかった』と言える練習にしよう。」私は部員にそう言った。

 東予から県まで一ヶ月半。観客にわかりやすくするために、脚本にはあと一場面を書き加えることになった。登場人物も一人増やしたい。ワンシーン・ワンパーソンの挿入、それは脚本を一から書き直すという作業である。平行して私たちは演技に幅を持たせるため、別の演目で校内公演を打つことを決めた。公演の練習と、また新脚本に見合う大道具や照明の決定と。演劇などしなくても十分あわただしく過ぎてゆく放課後を、私たちは記念館に集まっては少しの時間をひねり出して練習した。一日にできることのなんという少なさ。しかしそれを怠れば、彼女らの入学以来の夢はすぐにも消えてしまうのだった。
 
 不思議なことに、それでも練習には笑いが絶えなかった。校内公演前夜、通し稽古中のことである。部長がセリフを間違えた。しかし彼女も次のセリフを言う役者も平然と芝居を続けている。後で聞くと、なんと二人とも間違えたことに全く気づいていないのであった。私はよく「二本目の矢」という話をする。一つ目の失敗は「一本目の矢」、これが刺さるのはしかたがない。しかしその失敗を気に病んでいてはそれからの芝居が死んでしまう、本当に恐ろしいのはその「二本目の矢」なのだと。「すみません。私たち、矢が刺さっても気がつかないみたいです。」部長が笑って謝った。明るいのにもほどがある。部員も私も笑い転げた。

 校内公演は成功したが、脚本の書き直しは難航していた。ワンシーンを挿入するためには、大道具を大幅に変更しなければならない。私にはそのような大道具を作る自信がなかった。また、大道具が変われば照明の路線も変わる。私には今までの川高のスタイルを捨てる勇気がなかった。そんな足枷が、書き直しを遅らせていたのだと思う。県まで二十日を切った土曜、私はとうとう日曜の練習を休みにすると告げた。一日練習できる日は喉から手が出るほど惜しい。しかし大道具と照明の決定締め切りは二日後に迫っていた。新脚本なしで部員を集めれば一からどんな練習をさせるかも考えなければならない。とてもそんな余裕はなかった。部員も疲れているはずだ。東予からは休みもなかった。明日は休ませ、一人でじっくり考えよう。しかし、考えたところで結論が出るとは限らなかった。何もかもが手に余った。一日休みがほしかったのは私の方だったのかもしれない。

 その夜、部長から連絡があった。「明日、やはり部活をしようと思います。記念館の掃除をします。」他人の勇気に勇気づけられることがある。彼女らは、掃除をしようとしたのだった。けれども私はその時決心したのだ。新しい大道具と照明にしよう。いつ終わっても悔いのない練習にするのだと。翌、日曜日。掃除を済ませると、私たちは全員で大道具と照明の変更に取りかかった。翌々日には脚本も上がった。そしてそれは理想的な仕上がりだった。

 県大会での上演は、まさに奇跡のようだった。結果発表は翌日だったが、もうそんなことは関係ない。上演後の反省会でそうねぎらうと、部員全員が泣き出した。いつも笑ってはいたけれど、どんなに張り詰めた思いでここまできたか。実にその夜ほど楽しそうな彼女らを、私はそれまで見たことがなかった。翌日の講評で、審査員長は言った。「頭を殴られたような衝撃を受けました。」「シリアスな題材をポジティブに演じた。」「私たちの理想とする舞台です。」結果は一位、私たちは四国大会出場権を手にしたのだった。

 県から四国までの練習は夢のように過ぎた。日々上達し、何もかもが楽しかった。OGが千羽鶴を差し入れた。いつの間にか部員たちは千羽鶴に柏手打って何事か祈るようになっていた。練習が終わると、いつもにぎやかな彼女らが、黙って手を合わせ頭を垂れる。何を祈っているのかは容易に想像がついた。彼女らの目標は全国だ。四国で一位が夏の全国。また、今年からは春の全国が立ち上げられた。二位ならば春の全国。私も彼女らの後ろから手を合わせる。どうか彼女らの力を発揮させてください、それだけでかまいません、と。それなのに、どこで間違えてしまったのだろう。

 クリスマス、四国大会の上演も初日だった。幕開きからすぐに違和感を覚えた。声が響きすぎる。会場の空気が固い。何度も観客を乗せかけては乗せきれなかった。舞台は生ものだ。そんな小さな瑕が積み重なって役者はダメージを受けていく。すべての演技が空回りした。クライマックス、とうとう主役の一人がセリフをかんだ。しかし観客の誰一人、それを惜しいとさえ思わなかったろう。幕が下りるとすぐに大道具搬入口に向かった。トラックを待ちながら部員に言った。「残念なことに観客と一体になることはできませんでした。全国だけでなく、入賞することもないでしょう。」誰も物を言わなかった。

 夕食後、旅館前のスーパーに寄った。反省会に、せめてジュースでも振舞おうと思ったのだ。結果発表は明日である。これほどのメンバー。これほどの努力。それなのに、彼女らとの大会は、もう明日で終わってしまうのだ。鉛を呑んだような思いでいたその時、笑い声が聞こえた。部員たちだった。彼女らはクリスマスコーナーで、それは楽しげに笑いさざめいているのだった。ああ、あんなもので喜ぶのか。あんなものではない、彼女らの努力に見合ったもので喜ぶ顔を見たかったのに。旅館へ帰る道々、そう考えると泣けてきた。

 それでも反省会は明るいのである。一人一人が舞台を振り返って感想を述べた。主役の一人に順番が回った。「途中でお客さんが乗ってないのわかって、ラスト、セリフ間違って最後まで立ち直れんかって。ほんでも、みんなとスーパー行ったら元気出ました。」一人の感想が終わるたびにみんなで笑って拍手した。今さら泣いても詮ないことだ。誰にもそれはわかっていた。次は部長の番である。「私は、みんな良くなかったって言ってるけど、わからなくて。」みんな笑った。さすがは矢が刺さっても気づかないだけのことはある。部長も笑って話を続けた。「ラストも、ああ、間違えたけどちゃんと盛り返してくれたなって。」みんなでまた笑った。けれども何人かは黙った。部長は続けた。「うちは、まだ、信じとるけん。明日、結果が出るまでは。うん。信じとるけん。」今度はみんなが黙っていた。黙って、泣くのをこらえていたのだ。なんという明るさだろう。それはもう明るさというよりも強さに近いものだった。信じることは時にこんなにも苦しい。それでも明日を信じる強さ、私たちが「花柄マリー」を創るのは、世の中にこういう意志があることを知りたいからではなかったろうか。とうとう私も最後に言った。「みんなは、やるべきことをすべてやってここまで来た。だから、みんなには、明日まで信じる資格がある。」

 翌日、一位校の発表を、私たちは当然のように、また世界が終わってしまったように聞いた。部員たちは身じろぎもせずに手を握り合っていた。二位校発表。「愛媛県立川之江高等学校。」悲鳴を上げた。それから泣き崩れた。私はやったと叫んだと思う。私たちの歓声は一位校より大きかったのだと、後から聞いた。

 全国連覇の後、目に見えないペナルティに、私たちはあがいた。私たちのやり方を二度も全国に発信してしまった以上、私たちだけが持つ強みなどはもうどこにもないのだった。私たちが全力で芝居を創るように、それぞれの演劇部に悲痛なドラマがあり、今もどこかで奇跡が起こり続けているはずだった。そんな中で全国を目指すこと、誰も創らない奇跡の舞台を私たちだけが創りたいと願うことは、むしろ傲慢な夢なのかもしれい。それでも私たちは全国を目指し、彼女らはその夢を引き継いだ。彼女らは前向きだった。明るかった。私はふと考える。二位と三位は決選投票だったと言う。過去五年、私たちはずっと決選投票に泣いてきたのだ。そこに風穴を開けたのは、もしかしたら、あの明るい意志だったのではないか。いや、そんなことは関係ないのだろう。部長が信じると言ったあの時、舞台は終わり、すでに私たち人間の手の及ぶ何も残されていなかったのだから。