曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

奇跡はクリスマスに ―転校したMに寄せてー (H12.3.1.学校新聞掲載)

「来年こそは県大会するりと抜けて全国だぜィ!」

 昨年度の『門』にそう書いたMが、春になったとたん、急に転校してしまった。県大会を抜けることさえできなかったあの時、翌年四国で優勝して全国なんて、夢のまた夢だった。それでもためらうことなく「全国」を口にする彼女に、みんなどんなに勇気づけられていただろう。そうした強い意志だけが奇跡を呼ぶことができる。奇跡への道は閉ざされた、言葉にはしなかったが、誰もがそう感じていたと思う。

 『ホット・チョコレート』は、友だちが転校する話だ。もちろん実話ではないが、このことをモチーフに書いたものである。本当に悲しかったからこそ「悲しい」という言葉は使いたくなかった。主人公に「悲しい」と言わせないでその悲しみを観客にわかってもらう。そのためには、気持ちを代弁してくれる印象的な「何か」がほしかった。ふと部員の一人が作曲していた歌のことを思い出し、急いでデモテープを作ってもらった。もう八月末で、脚本の締め切りが迫っていた。Mが転校した後、部の中はバラバラだった。全国どころの話ではなく、とにかく脚本を完成させて東予大会にだけは出場させてやりたい、ただもうそんな気持ちだったのである。しかしデモテープを受け取り、前奏のピアノを聴いた瞬間、これは、と思った。淡い希望のような、鋭い野心のような気分が、胸の底で波立った。それは、奇跡が始まる予感とでもいうべきものだった。

 脚本が書き上がったのは運動会の朝だった。W先生に「ちょっと、読んでいい?」と気軽に言われてつい見せてしまい、見せた後で後悔した。出来が悪かった場合相手は反応に困るだろうし、第一今「悪い」と言われても東予大会まで二週間を切っていたから、書き直すわけにはいかないのである。W先生は読み終わった後、「ちょっと、ごめんね、なんて言ったらいいか・・・。」と言って、黙ってしまった。それは慰めや言い訳の言葉を探しているようでなかったから、私は少しく安堵して、今度は部員たちに読ませた。読み合わせが終わった時、最後のセリフを読んだ生徒が笑いながら泣いた。そんなことは初めてだった。

 練習中、一線を超える瞬間に出会うことがある。私は小器用で、初めて見たセリフもまず間違えずに感情を込めて口に出すことができるが、それに比べて生徒は非常に不器用だ。脚本を渡してもなかなかすぐにはスラスラ読めない。だから口移しで、「このセリフはこんなふうに言う、こっちのセリフはこんな感じ。(その前に、間違えずに読めよ!)」とイライラしながら教えていかなければならない。全部の役を自分ができたらどんなにスムーズだろう、とさえ思う。ところがセリフが生徒の頭に入り、立ち稽古を続けていくうちに、輝くような場面が立ち上がる瞬間があるのだ。脚本を渡して何日目だったろうか、その時が訪れた。紙に書かれたただの文字が芝居になる瞬間だ。こうなると、もう私の入り込む隙はない。偉そうに指示はするけれど、自分が代わりに入ることなど決してできない。いつの間にか彼女らはかけがえのない役者になっているのである。私たちは東予大会、県大会と勝ち上がって、四国大会に出場を決めた。これ以上の奇跡は、もとより望むべくもなかった。

 四国大会で自分たちの芝居が終わったのは土曜日だった。この大会では幕が下りるとすぐ「幕間討論」が始まる。今演技をした役者が幕の前に出てきて、自己紹介したり、会場からの質問に答えたりするのだ。『ホット・チョコレート』の幕が下り、しばらくすると役者たちが姿を現した。インタビュアーは高知県の放送部員である。

 「では、川之江高校のみなさんに、何か質問はないでしょうか?」
 一瞬、会場が静まる。その一瞬の後、前の方の席の、私服を来た女の子が手を挙げた。その後ろ姿を見て私は驚いた。それが、Mだったからだ。インタビュアーがマイクを持って走る。マイクを受け取った彼女は言った。
「彼女らの、友だちです。」
身内で質問してどうする。何を言うのかと私はハラハラした。
「あなたたち、とても、上手でした。」
なんだそれは。質問になってない。
「見ての通り、涙、止まらず・・・。」
彼女はそう言って、泣いた。いったいどうするんだ中途半端なこの空気を、と私が一人で焦っていた時、誰かがぱん、と手をたたいた。拍手だ、と思う間もなく、その音は急に大きくなり、「ウォー!」という声とともに、会場中が拍手で包まれた。会場の人たちは彼女がどんな思いで泣いたかを知らない。しかしそれはとても優しい、共感の拍手だった。うつむく彼女の後ろ姿を、優しい拍手が包んでいる。私の胸にあったのは、奇跡の予感だったろうか。それともすでにこの光景が、奇跡であったのだろうか。

 その夜、審査員長の西田シャトナー氏と話す機会があった。シャトナー氏は、神戸大学在学中に劇団『惑星・ピスタチオ』を旗揚げした、劇作家兼演出家である。私は『ピスタチオ』のファンだったから、話せるだけで嬉しかった。氏は私に『ホット・チョコレート』がどのようにしてできたのかを尋ね、脚本があることが信じられないような演技だった、そういう意味で『不可能な芝居』だと思った、と言った。その口調があまりに淡々としていて不機嫌そうにさえ聞こえたので、褒められているとわかるまでに時間がかかった。氏は最後に、
「・・・すればいいのにと思いました。」
と言った。よく聞き取れず、当然欠点の指摘だと思って聞き返すと、氏は繰り返してくれた。
「旗揚げすればいいのにと思ったのですよ。」
そうして、やはり淡々とした口調で言った。
「このクオリティを維持できるなら、大阪のホールでお金が取れます。」

 ホテルに帰るためタクシーに乗り込み、流れる高知の街並みを眺めているうちに、私はふと今夜がクリスマスの夜であることを思い出した。忙しさと緊張で、今まで実感しなかったのだ。クリスマスだった。いくつかの奇跡が起きても不思議はなかったのであろう。

 翌日結果が発表され、私たちは最優秀賞を受賞して、全国大会への出場権を得た。奇跡が、本当に訪れたのだ。生徒たちは声を上げて泣いた。夜、帰りの貸し切りバスの中で、彼女らはずっと歌を歌っていた。Mも乗っていて、一緒に楽しそうに歌っていた。本当に、みんなずっと歌っていた。薄い少女たちの声が重なり合って響く。モーニング娘。宇多田ヒカルプッチモニ。ゆず。よくまあ歌詞を覚えていることだ。窓越しに外の冷気が感じられたが、バスの中は暖かかった。山々の杉という杉に雪が積もっていて、クリスマスツリーがびっしりと立ち並んでいるように見えた。歌声の歌詞は聞き取れず、讃美歌のように、天使たちの声のように、流れていた。