曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

ヤンキーのその後。

審査についてここに四の五の書くのも筋違いだ。
私はいつものようにウチの部員について書こう。
 
解散した夜の学校で、
ヤンキーこと主役のKは一人で立っていられないほど泣き続けていた。
「Kが帰るまで帰らん。K早よ帰れや!」
と部長R(女です)にののしられ、
最後は越智君に支えられて立ち上がりようよう帰って行った。

 

そして翌日提出物の件でヤンキーらしくまた揉め事を起こした。
私はぎゅうぎゅう説教しながら、
昨日の今日でこいつが学校に来ていたことの方を驚いていた。
昨夜はストーブの脇でいつの間にか眠ったそうで太ももは火傷で火ぶくれしていた。
いつもはうるさいくらいくっきりしている二重まぶたも泣き腫らして伸び切っていた。


部長Rは昨日の私のブログを読んで、自分が一番心に残っているのはKの言葉です、とメールをくれた。
「俺は何もかも100パーセントうまくいくと思ってやってきた、だから、」
バスの中でKはそう言って泣いたのだった。


「何もかもうまくいく」というのは実際Kの口癖だった。
聞けば驚く逆境の中でKはそう信じて生きてきたのだ。
その明るさはほとんど奇跡のようだとここに書いたこともあったけれど、
この1年半私は彼のその明るさを頼っていた。
そしてそれは彼以外の14人、部員全員がそうだったと思う。


こいつがもう一度笑ってくれるのはいつだろう。
はい、はい、と虚ろに説教を聞くKを見ながら私はそんなことを考えていた。
そしてそれは案外早く来た。
夕方まで居残りさせられて帰りに職員室に寄ったKは、
寒かったです、2枚しか着てなかったんで、と言った後、
俺はもっとうまくなります、的なことをまた喋り始めた。
二重まぶたはすっかり元に戻っていて、
いつものように無駄に目をキラキラさせながらつまらない話を生き生きと話した。
部活は休みにしていたけれど部長たちが記念館で勉強している、
それを告げると、じゃちょっと寄ってみます、と言いもうこちらに興味をなくして楽しそうに去って行った。