曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

言われたとおりにやらない。

圧倒的に経験値が違うので、

普段は若い芽を大事にするよりこちらの意見を通した方が9割方うまくいきます。

あ、練習のことです。演出のことです。

私は気が弱いので引いてしまいそうになることもあるけれど、

そこを敢えて押し通した方がいいと自分に言い聞かせているくらいそれは真実なんです。普段はね。

 

でも年度を越えて全国大会に出るくらいになると練習期間は積み重なり、

大会直前には主力学年になってからほぼ1年経つわけで、

本番が近づけば近づくほどなんというか指数関数的に上達していくといった事態がやって来るわけです。来たわけです。

 

実際彼らは自分たちだけで話し合ったり(またもちろん自分で考えたり)して、

自らが肉体化したその役の人間をこちらよりも深く理解してしまったと思われる時がありました。

その役の人間の持つ感情や身体状態を外から受けた刺激の分だけ過不足なく魅力的にその場に応じて動かしてみせる、そんな時が。

 

言われたとおりにやらない。

生み出される。

なんて幸せな場にいるんだろうか。

だからこちらはなんと「青春舞台」の画面を観て初めてこんなことをしていたのかと気づかされたり、

またもちろん練習中や本番中に発見して爆笑したり感心したり驚いたりするのでした。

 

ミナトは勝手にゴロゴロと何回転もして大真面目な顔で手を挙げる(マジで勝手にやるようになった)。

チカゲは劇中で誰かの指示があると「ハイ」ではなくて「了解」と言う。

カズキは国立劇場で「うるせえなあ」と言ったあと顔を覆って「慟哭」する。いぶきが棄権を決めたとき自分がしぶっていたくせにあんなに辛そうに「いぶき」と叫ぶ。

アイは覚悟を決めて「あたしからでいいと思う」と宣言する。普段あんなにおしとやかなのに「だったらそんな顔すんなよ」と吐き捨てて言う。番長のように吐き捨てる。

「なんでも思いどおりになるわけじゃないだろう」と言うイッセイは悠然としている。それがとても「彼」らしい。

マルハシの体の動きはなんだろう、あれはマルハシだ。キュートだ。勝手に動く。眼鏡の真ん中を指で押さえるのはあれはマルハシの仕草だ。

そしていぶきである。この劇は一つには彼女の成長を描いている。最初オタオタしていた彼女が最後には冷静な舞台監督となって幕が下りる、はずだったのだが、「いぶき」としては「今ひとつ納得はしてないけどリハを続けた」のであるらしい。練習の最後あたりにそう言っていた。「青春舞台」で最後の顔がアップになると、彼女は少し笑っている。これは指示されてする表情ではない。正解かどうかもわからない。しかし正解というものがあるとしたらいぶきとしての肉体を持つ者がそうした以上それが正解だったのだろう。実際ラストの彼女のあの表情が好きだと言う人を私は何人も知っている。

 

3年生についてだけそれぞれ思い出して書いてみたけれどそれは実は「誰」の「どういう」と数え上げることもできない「場そのもの」のあり方だった。

私たちはなんという場に立ち合ったのだろう。

そうしてそのような場が実現する前提として、

「越智優」という作家の「当て書き」の機能がここまで本人に深く入り込む性質を持つものだということに私は何度でも感嘆するのである。