先般(3月30日)記事に書いた、
「コロナ禍における高校演劇部活動」についての原稿、
4月中旬、無事書き上げることができました。
書籍に掲載されるのでまだここには載せられませんが、
書き終えて思ったことがあるんですよね。
いつだったかの文章にも書いたのですが、
「私が逃げようとするたびに演劇は強い力で私の手を引いた」のですよ、
今回、「きょうは塾に行くふりをして」を創る時も。
そして私は今回の文章で「そのことを幸せと思う」、と書いている。
”DIE WITH ZERO”(ゼロで死ね)によると、
人生で大切なのは(金を貯めることではなく)「思い出」を創ること、老人になったら思い出の「配当」で生きていく、最後に残るのは結局それだけ、だそうで、
「思い出作り」という言葉がずっとずっと嫌いだったがその大切さが今は少しだけわかるのですよ。
私はいつも困難から逃げようとばかりしてきたけれど、
演劇が無理難題をふっかけて来るので巻き込まれては、
過分な「思い出」を手に入れて来たんだな、
今その思い出は確かに「配当」を与えてくれている。
今回の文章はそんな「配当」の一部分になることができたんじゃないかなと。
お声がけくださった工藤千夏さん、
書くよう勧めてくれた越智くん、
そんなわけで感謝してます。