取材やら上演許可願の手紙やらからうかがい知れるのだが、
私と越智くんのうち、
私のみを知る人は私のみの能力が素晴らしくて演劇部は功績を上げてきたのだと思っているようだし、
もちろん越智くんのみを知る人は越智くんのみの成果だと思っているのである。
そんなふうに感じることがよくある。
しかしこう書くのもそれはどうかとは思うのだが、
それを言うなら実のところは両方とも能力が高い、のではないか?
どちらもが演劇に向いていてその持てる能力のほぼすべてを演劇部に捧げ尽くして来たのではないか?
台本は主に越智くんに頼っているが、
私に関して言えばずっと部活の運営と作品創りの両方をこなしてきた。
作品創りは台本の段階から、
部活の運営はとにかく練習に出ることから。
「演劇部は目を離すと腐っていく」とは私の経験から出た言葉で、
目を離して実際腐っていったからそれを立て直すために『ホット・チョコレート』は生まれたのだし、
そこから四半世紀を「もう二度と演劇部から目を離さない」と決めて関わってきたのである。
メンバー同士の関係がうまくいかない時、芝居が立ち行かない時ほど、
「行きたくないから練習に行く」ということを続けてきた。
体調が悪いときは記念館で電気毛布にくるまってとにかくその場にいた。
松山東に来てからは越智くんが通ってくれるようになったのでだいぶ楽になったが、
それでもなるべく視聴覚に通った。
目的のない状態を作らないようにする、関わらない人間がいないようにする、今何をすべきでどんな希望に向かっているのかを共有する、
そんなことは練習の場にいないとできないことだ。
そして教員が練習の場に「いる」ということそれ自体がどんなに難しいかは、何十年もの間部活動に真剣に関わってきた教員にしかわからない。
教科とクラスと校務分掌だけをやってきた教員には決してわからない。
人は私に「新しい顧問に演劇のやり方を教えて引退すればいい」と簡単に言うが、
いったい誰にこんな難題を簡単に引き継げるというのか。
誰がここまで演劇に向いていると私にわかるというのか。
誰がここまで演劇のみを愛してあそこまでの時間を捻出するべきだというのか。