曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

記念館のストーブ。

急に記念館でストーブを使っていた頃のことを思い出した。
そもそも愛媛県では高校は普通ストーブを使わない。
でもたまたま川之江には定時制があったので、
夜は寒いから達磨ストーブが5、6個用意されていたんですね。
授業たんびにストーブの取っ手に竿を通して生徒が二人で教室に運んでいた。
(今こう書いていても百年ほど昔の話のようですが10年以上前のことではありません。)
そのストーブを1台使ってないと見破って、
当時の教頭から「四国大会までの間だけ」とうまいこと許可をもらって、
数年は12月の間だけエッサホイサと記念館まで運んでいたのだが、
7、8年前だかに教室にエアコンが入るようになってからは定時制もストーブを使わなくなり返す必要もなくなって、
達磨ストーブは春が来ても夏が来ても秋が来てもそして冬になってまた引っ張り出されて火を入れられるまでもうずっと記念館の大道具置き場に据え置かれるようになったのだった。
もちろん毎年ひっそり灯油も運んだ。
どうにも寒くなってきたら1階の元台所から探し出してきた金だらいに水を張って天板に載せ、
ある時はマッチである時はチャッカマンで火をつけていた。
熱いとか暖かいとかじゃなくて冷たさが緩むというか、
雪の降る日もあったっけ、
金だらいから湯気が上っていたっけか。
そんな中でどれだけの芝居を創ってきただろう。
転勤した後も、
火を使う話だからストーブのことは気になっていた。
あと見るからに古い建築法で建てられていた記念館は地震が来たらどうなるだろうとそのことなんかもずっとずっと気になっていた。
取り壊されてしまって、
もう気にすることもなくなって、
ああいうものはすべて記憶の中にだけあることになってしまった。
そうだ、
ヤンキーはとうとう主役を取ったらしい。