曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

誰かに電話をしなければならなかったんじゃないかしら。

恥ずかしい話だが、
先日入院している母と電話で話して、
私とわかってもらえなかった。
私がいつも忙しくて疲れているのだと、
母はずっと理解してくれていたし記憶が曖昧になっても、
「〇〇さん(←私のこと)はアレやろ、いっつも頑張っとってえらいなあ、体に気をつけてよ。」だなんて、
何に頑張っているのかも忘れているのにいつも私を案じてくれていた。
そのことを悲しいように思っていた。
こんな私のことなんか心配してくれなくていいのに自分の心配だけしてくれてたらいいのになんて。
肝臓の数値が悪くて熱が出たので短期入院をしたのらしい。
病院の兄から電話がかかってきて、
「熱も下がってお母さん退屈しとるから話してやって。」
「ちょっと待ってな。」とお母さんと代わるとき、
なんだかそんな予感があった。
自信がなかった。
私の名前と私の声と、
「私〇〇よ。」なんてそんな短い文だけで私とわかってもらえる自信が。
最初妹と間違えていた。
その後そうでないとわかるとそれから敬語になってしまった。
兄の方がうろたえて、
「〇〇よ、お母さん〇〇よ。…ここ病院でこれ携帯やからいつもの場所と違うからわからんだけで、会うたらまたわかると思うんやけどな。」
全然ショックなんかじゃないよ、
おばあちゃんも年取ったら私のこと妹の名前で呼んでいた、
近くにいない私のこと覚えておく方が無理だものね。
全部を兄と妹に任せておいて、
だからショックを受けること自体がなんだか図々しいような気がしたんだ。

大学からずっと両親と離れて暮らして、
電話もあまりしないことをいつもなんだか申し訳なく思っていた。
そうこうするうちに何十年も経ってしまって父が亡くなり、
母に電話をしなければと思いながらあまりしないでいたことだ。
気づくと母は自分では電話を取れなくなっていて、
兄経由で電話をするのも気詰まりでいた。

だけど今日のように体が空いて、
ああ誰かに電話をしなければならなかったんじゃないかしらなんてふと思うとき、
父は亡くなり、
母に電話をしてももう母は喜んでくれないのだと気づく。