本年度演劇部正顧問の森先生(50代♀)は大変に有能な方でどのくらい有能かと言うと、
昨年度初めてウチの顧問になったとき当時の教頭から、
「森先生を副顧問にあげたのだから他のことは我慢してください。」と言われたくらいの人である。
そして実際1年半ご一緒してみると、
教頭は至極当然のことを言ったのだなあと思うのであった。
愛媛県大会でも四国大会でも昨年度いきなり現れての大会への貢献ぶりは周囲役員の驚くところで、
全出場校の撮影係を難なく引き受けそれがプロ級(趣味でたくさんのカメラをお持ち)(動画や編集お手の物)、
また書道もなんと現役で県展に出品するほどの腕前なので賞状揮毫もサラリとやってのけてみんなを唸らせるのであった。
また校内では今や教務課長より忙しいとも言われるGL(グローカル)課の課長であって必要ならば外国大使館にまで電話する、
英語の教科主任もやっているので雑用も多い多い、
一時期には外線電話の3分の2は森先生宛てだと言われていた。
この夏休みは当演劇の全国大会と国立劇場との間になんと地区大会があったのだが、
その全国と地区とのたった1週間の隙間にはまた東京に出かけ(8月は愛媛より東京滞在日の方が長かったらしい)、
何してたかというとなんか国際教育部門の全国大会の、
聞けば審査員をやっていたのらしい。
なんなら前任校では何かのプロジェクト(すでに何かわからん)で全国優勝させたこともあるそうだし、
そもそも放送部顧問としても全国出場経験あり、
各部活顧問が喉から手の出るほどほしがる人材なのであった。
おまけに大家族の主婦として男子3人老人2人+ご主人の家事一切を背負っていて、
(言っていいかわかんないけど)この8月はそのうち2人がコロナに罹ったためその世話も一手に引き受けて(しかも自分は罹らずに)いたというなんとも超人としか言いようのない活躍ぶりなのであった。
そのうえである。
演劇部の顧問で全国に行くとなったら決して片手間の仕事じゃないのに、
この全国と国立劇場の事務室との折衝やら外部との交渉やら書類作成やらを一手に引き受け(私は練習に出させてもらった)よくぞご無事で8月を乗り切られたというところである。
こう書いていてもこの人はどうして演劇部顧問などを希望されたのであろうか(どうも希望されたのらしい)。
そして「私のミッションは〇〇先生(←私のこと)を演劇に集中させることです」なんて笑って言ってくれたのであろうか。
思えば私の性格であれば新しい顧問とソリが合わずに全国を前に空中分解なんてことも考えられなくはなかったはずなのになんと奇跡的にもそのような顧問でなく、
どうしてちょうどこの人が来てくれたものであろうか。
実は25年ほど前、
若かりし彼女は私と同じ東予地区でとある高校の演劇部顧問をしていていたのであって育休明けにその演劇部がつぶれていたので放送畑に移ったという経緯がある。
私も顔を覚えていた。
当時私は西条高校勤務だったと思う(越智くんは部員だった)。
彼女は東予地区大会で負けて西条の商店街を駅まで部員と歩いたのらしい。
(負けて帰る道のりのつらさは私にも痛いほどわかる。)
そのとき私のリハを見かけたか何かで、
「『月影先生みたいな人おるなあ』って思ったんですよー。」とよく話してくれる。
(これだけは言っとくが私も若かったハズやぞ。)
そうして、
「あの時の商店街をとぼとぼ歩く自分に言ってやりたいですよー。
『四半世紀後におまえは〇〇先生(←私のこと)と一緒に国立劇場に行くんだぞ』ってー。」
とか笑って言ってくれるのである。
一昨年度まで森先生は国際関係の部活の副顧問だった。
いずれそちらの正顧問にとみんなが思っていたはずだ。(そうすればGL課長としてもうまくいく。)
でも正顧問の先生(当時)がある日悲しそうに言ったのだ。
「演劇がね、好きみたいなんですよ。森先生。」
情報室で活動していると彼女は隣の視聴覚室をいつも気にしているのだと言う。
なぜならば、
そこで演劇部が活動しているからだ。
私は何十年も演劇部顧問の仕事をほとんど一人でやってきた。
それは副顧問に頼むのに気が引けるというだけではなく、
作品を創っている同じ空間にその作品を愛していない人がいることに心が耐えられないからだった。
今まで演劇を愛してくれた副顧問は二人、
奇しくも(ではないか)そのお二人の時にどちらも全国出場を決めたことだ(「さよなら小宮くん」と「夕暮れに仔犬を拾う」)。
そして今回は「きょうは塾に行くふりをして」。
とりあえず森先生が演劇を好きでいてくれたことを神様に感謝したい気持ちです。
神顧問森。(伏字なしでごめん。)