曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

浅からぬ因縁その1。

私にとっての最初の四国大会の審査員長は「安田雅弘」氏だった。

 

最初の大会出場作品が「それぞれに如月」だったとは先日書いたが、

(そしてそれが「きょうは塾に行くふりをして」の劇中劇の原型とも書いたが、)

地区大会、県大会をあれよあれよと抜けたので、

こんな素晴らしい台本で上手な役者(越智くんたち)が揃えばもしかしてどこまでも行けるのではないかといった気がしていたのだが、

あにはからんや講評ではただの一つも褒められることなく当然入賞することもなかった。

 

なぜか翌年愛媛で初の四国抜けを果たして全国大会に初出場することになったのであるが(持ってますね私?)、

しかしその全国大会審査員長がまた「安田雅弘」氏であった。

さんざんな出来ではあったので当然講評ではまた何一つ褒められることはなく、

また他校に対してもさんざんな辛口であったため、

当時の副顧問G先生は「一生懸命やってきてあそこまで言われなければならないのなら私は演劇部を辞める」とおっしゃって翌年だかに本当に辞められた。

 

数年経って奇跡的に全国二連覇を果たしたのだが(いや持ってますね私?)、

その翌々年に今年こそと意気込んだ四国大会の審査員長がこれまた「安田雅弘」氏なのである。

2位だったので全国には行けなかった。

すでにどこを注意されたのかも覚えていないがどこも褒められなかったことだけは確かである。

 

「きょうは塾に行くふりをして」の四国大会審査員長が「安田雅弘」氏だと知ったとき、

私は定年退職で最後の四国大会だったのだが、

もうこれはいっそ何か運命的なものを感じましたね。

なるほど、こういうことか、最初と最後が「安田雅弘」氏なんだな、と。

 

もう講評は聞くのをやめて(階段あたりでサボって)閉会式に入ったところでなんと最優秀賞をいただいて全国に行けと言う。

私は「とうきょう総文」では審査員を打診されていたのだが当然それをお断りして全国に出場することにした。

帰りに審査員控室に走って行くと、

「ぐっときたよ。」と言われて、

「全国でも最優秀を獲って来てください。」と言われたので、

あなたは本当に「安田雅弘」か?と思いました。

 

浅からぬ因縁だと思うんですよね。