曽我部マコトの言わせていただきます!

そんなに言いませんけど。

魚がつれるといい。たとえ砂漠であっても。

光る砂漠
影を抱いて
少年は魚をつる

青い目
震える指先
少年は早く魚をつりたい     矢沢宰「光る砂漠」より

今日、図書室でこの詩集を手に取ったのは、
この「光る砂漠」に曲をつけたものを、
忘れもしない大学1年の時、合唱団のメイン組曲として1年間歌い続けてきたからだ。
定期演奏会プログラムの図柄としても使われていたモノクロの砂漠の写真の、
その表紙に惹かれて懐かしさにパラパラとページを繰り、
私が驚きに目を見張ったのがこの表題作だ。

筆者の矢沢宰氏は体が弱く、21歳の若さでこの世を去っている。
この詩集は14歳から書き溜められた、
主に16、7歳の頃の詩を集めたものだ。
私たちはこれらの詩群とその曲を愛して皆で歌ったが、
表題作に、曲はつけられていなかった。
ただ、私はこの詩をあまりにもよく知っていた。
この詩を初めて読んだ日のことを、
今日、夕暮れの図書室で、私は忽然と思い出したのだった。

それは大学1年の時ではなかった。
中学生の頃だと思う。
学習雑誌の読者投稿欄に、この短い詩は掲載されていたのである。
他の生徒の詩とはまるで違っていた。
生徒の力作を毎月こきおろす寸評も、この詩ばかりは短く褒めただけだった。
「青い目 震える指先」
このフレーズに衝撃を受け、後半部分を私はずっと覚えていて、
ちょうどここにも掲載した生徒会誌「門」の「最後の説教」の最後の文、
「冷たい風、頬打つ雨」のくだりだって、明らかにあのリズムを真似ている。
ああ、あの大切な詩は、あんなにも親しんだ「光る砂漠」の中にあったのか。

矢沢宰氏は私より早く生まれていたはずだから、
私は兄の学習雑誌を読んでいたものと思われる。
21歳で亡くなったということを、大学1年生の私は、まだ遠い先のことのように聞いていた。

いくら曲がつけられていなかったからと言って、
1年間のメイン組曲の表題作を、私は大学時代に読まなかったものであろうか、
不思議なことにそこを全く覚えていないのだ。
何しろ中学時代と同じように、大学時代も今ではもう、
自分とは違う誰かが過ごした日々のようで。
本当は、学習雑誌であの詩をみつけたというのも、
私の記憶がどこかで交錯しているだけかもしれない。
この詩は大学時代にこの詩集で読んだものかもしれない。そうだとしたら申し訳ないことを書いた。そうだ、学習雑誌に投稿したりはしないかもしれないな。
けれども長く深くこの詩は私の中にあった。そんな力を持つ詩だった。その詩に今日再会した。これらのことは本当です。